問われる宗教と”カルト”

 

 

 

 

お正月に録画した番組をみるともなしにみてる。

 

 

 

 

 

 

昨日、むすこが保育園でおともだちに怪我をさせた。

 

 

帰ってから話しをかさねて

 

おともだちとおともだちのご家族が安心して世界一の保育園に通えるよう

 

1ヶ月 保育園を休むことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で しばらく家にいる必要があるから

 

 

むすこに

10歳までに覚えたいなんちゃら みたいな↑本を

 

遊びの代替として進ませながら

 

 

 

 

見るともなしに こころの時代「問われる宗教と”カルト”」という番組をみてた。

 

 

宗教なら宇宙がなぜあるかの答えを持ってるんじゃないかと30年近く前から期待してる。

 

 

 

 

 

 

どの教えも ぴんと来ないから 未だ何かに帰依してるわけでもないんだけど、興味関心はある。

 

 

 

 

 

 

 

法律も宗教も歴史も 人がつくりだしてるのがとてもおもしろい。見方によって、語り方によって、解釈の余地が無限にある気がしてならない。

 

 

人そのものな印象。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で 画面の中で何人かの宗教者が話あってるんだけど

 

 

その中のひとりが今 こう言った。

 

 

 

 

 

 

 

「『救い』は売ったり買ったりできない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『考える力』も 内面が深く関わるわけだから

 

売ったり買ったりできないもんかもな- なんておもったんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

売ったり買ったりできるようなふうで ぼくは思っていたけど

 

 

 

実は そういうことじゃなくて

 

 

 

 

 

 

 

考える経験 を 売買してるのかもしれない。

 

 

 

 

脳の中で どんな反応をしてるのかは見えないものね。

 

 

 

 

成績を上げる

志望校に合格する

 

 

 

そう正面から言ってるほうが潔いかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で考えさせる

考えるように仕向ける

 

だから 考える力が伸びる

 

 

は本当なのか

 

 

 

 

考える力 は 売買できるものなのかどうか

 

 

 

 

どうなんだろう

 

 

 

考えてみよう

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにむすこは、保育園の先生に「明確に判断がまちがっています」とのお声がけをいただき、1ヶ月謹慎することなく登園することになりました。