勉強をやらせる側 誘導する側の大人は
せめて
背負うべきだ。
「自分で選んだんでしょ」など
言語道断
大抵の場合
子どもが 世界で一番大切な
親の心情
をおもんばかってるにすぎない。
「子どもは ひとりの人格を持っているのだから
ひとりの人として 勉強するのかどうかさえ 自分で決めるべきであり
自分で選んでいくべきである」
など 責任逃れも甚だしい。
自分がさせている
自分が誘導している
せめて そこは
背負うべきだ
「結局は 本人のやる気ですね。子どもに任せてます。」
など
子どもの前で言うもんじゃない とぼくはおもう。
そのセリフには
べっとり と おとな が染みついてる。
せめて まわりの大人は背負うべきだ。
ぼくらは 子どもに勉強してほしいし
そうなるように願っている。
子どもが納得して自分で選んでいるのではない。
そうするように 仕向けている。
しょってやるべきだ。
言わなくてもいいとおもうけど
でも
つるんとした顔で
『勉強はしたほうがいいですよ』って
しっかりとはりつけておくべきだ
一貫して はりつけておくべきだ
とぼくはおもう。
お互いの本心を透けさせる っていうところでは
それが フェアなんじゃないかな