年に20回以上 ぼくは聞く。
450点以上取る子たちの保護者の方々も数ヶ月前に思っていたことなはず。
「こんなにやってるのに うちの子はなんで点が取れないんですか。」
ぼくは「そうですね。みなさん そうおっしゃいます。」としか応えない。
ほんとは たくさんやってるねー と思いこそすれ、 こんなにやってるのに とぼくが思うことはあまりない。
偏差値70 の勉強量が図抜けていること。
偏差値65 の勉強内容が他の多くの人たちの勉強内容より難しいことを 知ってるから。
彼らが一度の指示で 話が通ることが多いことも
自分の状況を明確に応えられることも
よく知っている。
比べる発言はしないけど
上位が特別な魔法を使ってるわけではないことを ぼくはよくよく知ってる。
彼らが 「こんなにやってるのに」 なんて話をすることは ない。
自分がまだ足りていないことをよく理解してる。イメージできている。
やってもやってもきりがないのが勉強だということを理解しているし、やらなければできるようにならないことも体感として理解してる。やればできるようになることも経験として理解している。
成長の過程では 『こんなにやってるのに』 という気持ちにも向き合ってきてる。当然ね。
学力向上は 自分ができないことと向き合わなければなし得ない。
矢を自分に向けなければ 糸口を見つけることはできない。
個体差 能力差を埋めにいこうとするかどうか
ひたむきに積み上げようとする人は改良を重ねていずれ伸びるし
しびれをきらす人も当然いる。
点が取れるようになるのは 取れるようになるまで勉強するからなんだよね。
点を伸ばせないなら 伸ばせばいい。
ぼくはいつもそう思ってる。
優先順位を考えて たくさん勉強すれば 点は取れるようになる。
取れないなら 取れるように追いかければいい。
問題は解かなければできるようにならない。定着させなければできるようにはならない。
立ち向かえる人もいれば、挫折する人もいる。
諦める理由には ぼくを使ってくれたらいい。
生徒たちには いつもそう言っている。
勉強は甘くないからね。
向き不向きはあるよね。
点が取れるようになるのは 取れるようになるまで勉強するからなんだよね。
自分を信じられるかはその人次第。
あごが前に出ているうち、話してるときに揺れているうちは 『まだ安定しないだろうな』いつもそう感じてる。
「どうしたら?」といいながら 矢を自分の取組に向けるから変われる。
結局のところ 『勉強したくない』気持ち と折合いをつけられるかの成熟度が問われるんじゃなかろうか。
ぼくは『勉強したくない気だるい雰囲気』が増長していくのとたくさん向き合ってきてるから、常々「反抗期は受けつけない」って言ってて、
『勉強したくない』気持ちが取組に見えてるときには草取りのようにほじくり出すようにしてる。
結果的に高校上位があり得ない比率でいるから、あんまり変えようとも思っていない。
点が取れるようになるのは 取れるようになるまで勉強するから。
しない人のいい分きいて ご機嫌伺いもね。
1年目はしてたんだけどね。
自由度高い設計だから、モンスターに変わってくんだよね。枕持ち込んだり。まわりの子たちにお菓子配りはじめたり。
すずのきが追うのは 学力向上。
『勉強したくない』気持ちは 持ち込ませないようにして作り込んでる。