たとえば 生徒の誰かが本人が大切にしていただろう試験で不本意な結果だったり
まして それが受験とか二度とない場面 だったりね
あと 誰かが 学力向上とは真逆の行動をとったり
生徒が退塾の判断を教えてくれたり….。
ふさぎ込むような日は 一年のうちに何度もある。
ひらきなおれればいいのだろうけど、
ぼくは次の日になっても その次の日になっても頭の中をぐるぐるまわることのほうが多い。
どんなに目の前のことに集中しようとしても
どんなに忙しくしても
新しいことを全力でやってみても
ふさぎ込むようなインパクトのあることは なかなか頭や心から離れない。
みんなそうなのかもしれないし
そうじゃないかもしれない。
これといった解決策もなくて
ただ必至に 必至になって前進しようとしてる。
あゆみがどうしても緩くなってることもたくさんあるんだとおもう。
どんな塾がいい塾なのかな
そんなことを考えながら ここまで5年半進んできたんだけど
ひとりひとり 学力があがっていく塾
くらいしかたどり着けなくて
日々 あらたに起こり続ける目の前のことに取り組み続けてる。
学力向上 は
授業をするのでも
カリキュラムを調えることでも
進捗を追うことでも
まして目先の一問の解き方を話すのでもない。
そんなことは 枝にもならない 葉っぱでしかなくて
学力向上は
自分が自分で成長させていく目だったり頭だったり手だったり脚だったり気持ちだったり
そういう『前に1mm』を積み重ねていくことにほかならない。
ふさぎ込んでいてもしょうがなくて
それこそ カラッと元気に明るく立ってることこそが学力向上という結果を引き出すんだろうけど
残念ながら まだそういう性格はつくりあげられていない。
仕組み
行動が変わるような仕組みを考えるのが、まず真っ先に重要なことなんだよ。
行動が変われば、他のこともかわっていきやすいから。
気持ち では 行動 は変わりづらい。
仕組み で 行動 を変えていくんだよね。
三連休 雨がちなのかな?
ちょっとわからないけど
雨がちだと 思考もくもることが多い。じめじめしちゃう。
ふさぎ込む こともあるかもしれない。
それでも ㍉ からだを前に押し出せるといいよね。
勉強なんて その繰り返しでしかないし。きりのない世界だから。
いまは朝6時
土曜の午前
いつだってそう
午前中に半歩進められれば
その日は絶対に 勝ち 決定だよ。
1㍉
それだけでもいい。
前にもってくこと。
本を5ページ読むんで充分。
もしかしたら仕組みが思いついちゃうかもしれないじゃない?
もしかしたら シンプルなデザインを思いついちゃうかもしれないじゃない。
火曜日に3ミリ進んでいれば それでいいんじゃないかな。
もしかしたら300㍍ 進んでるかも
きっといい1日になりますように