いかに余計な『勉強』をできるかは大切なようにおもう。

 

 

 

普通のことを すこしがんばって 人より すんごいできるようになる

 

 

 

 

なんて人は全然いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の2倍くらいのがんばりで 頭抜けたいなら

 

 

よっぽど 人が通らない道を通って うまいことやらないと無理だとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強に関しては

 

 

 

たとえば

東大理科一類に正しく進もうとおもうなら

 

 

 

 

人の5倍以上は勉強しないと

まず 無理だと

 

 

 

ぼくは東大合格を目の当たりにしておもう。

 

 

 

それか 人の通らない道を進むか  ね。

 

 

5倍っていったけど、ほんとは普通の高校生の20倍くらいにはなる..

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば英語のラジオを聴いてみたり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば 象の足の大きさをはかってみたり

 

 

 

 

 

 

 

たとえば 工場見学に出てみたり

 

 

 

 

 

 

 

いっぱい余計なことをしておいて

 

 

 

 

 

 

 

そうして

 

 

 

余白はできていくんだとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中受しないのに中受の勉強をしてるのも 余白づくりの実験。

 

 

 

 

 

 

 

真面目にやったって 真面目界のトップランナーにはかないっこない。

 

 

 

 

 

だから孤走する。

 

 

 

 

 

 

そうしてプロジェクトを組むときにユニークな存在になれるといいとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっき上で書いた 東大理科一類に進んだ子。

 

 

 

高校に上がる前の2月3月。たくさんの勉強時間の半分は世界史Bを勉強したんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だって 世界史って 教養として大切じゃない?

 

 

 

 

 

 

結局、共通テストはおろか学校で授業さえ無かったけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余計な勉強ができるなんて すごい贅沢だよね

 

 

ってか 必要にかられての勉強って あんま面白み感じづらいんだよね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたら土づくりみたいなものなのかもね

 

 

 

 

 

 

 

普通にやったって 勝てないんだからさ

 

 

 

 

 

 

独走しないと ね