朝は勉強に向いている

 

 

 

かもしれない。

 

 

 

 

 

 

勉強の固定化って大変だよね。

 

 

 

 

 

 

わが家でも7年8年 取り組んでるけど

 

 

 

 

結局、親が自分自身を奮い立たせないと

 

 

むすめやむすこから勉強することはないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ一年  むすめが自分自身で勉強っていう行動にとりかかるように ためしてみたけれど

 

 

 

 

中長期的な目標のためには

 

 

子どもが自分をコントロールして 家で勉強という行動に取り掛かり続けるのは無理だね。

 

 

 

 

 

 

 

 

なので

今日も粛々と

 

 

はやく卓球に行きたいむすこに勉強をさせている。

 

 

 

 

 

 

ところでさ

 

この

 

 

「させる」

 

という言葉が好きではない

親ごさんもたくさんいると思うんだけど

 

 

 

 

 

 

ぼくは よく使う。勉強をさせる って。

 

 

 

 

 

 

 

子どもは たくさんの遊ぶ時間 たくさんののんびりする時間を犠牲にして 勉強がしたいわけではないよね

 

 

 

 

 

 

ぼくやまわりの大人が勉強をして成長してほしいから 子どもはしている

 

 

 

 

 

 

自分で選び取って生きさせています  という気持ちや

 

 

 

スタンスは

 

 

 

18歳まで続きようもない。

 

 

 

 

 

どの子も 親の期待 から 影響を受けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

というかね

 

 

焦りを子どもに見透かされて手玉に取られたら最悪じゃん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもの「勉強できるようになりたい(ベンキョウセズニ)」に右往左往することになる。

 

 

 

「自分で選びなって言ってるけど、結局じゃん!!」

とかも  センスよろしくないよね

 

 

 

 

 

 

 

目標を探すのを手伝って

 

適切な距離感で適切なアドバイスを?

 

 

 

 

 

 

 

いや 無理でしょ

 

自立してる子どもなら 親に逐一見せないでしょ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まわりもがんばってる環境を与える?

 

 

 

 

 

与える?  させてる とほぼ同じじゃない?

 

 

 

 

結局、中学受験の地獄列車に乗るの?

 

 

 

 

 

 

 

 

のびのびすごさせて

 

 

 

 

ピチピチのパンツはいて

サイドと後ろを刈り上げて

首に刺青入れて

夜ゲーセンでUFOキャッチャーしだしても

 

 

 

自分で選び取って いいね

 

 

 

 

 

 

 

そう言える?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、親は選びたいよね

 

 

 

自分が行って欲しくない方向は 避けたいよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強に関して

自分で選び取る

 

って文言は ある種欺瞞だね

 

 

 

 

 

ぼくも よく  生徒が自分で選び取ってる  って表現をするけどさ…

 

 

 

 

 

 

 

選び取らせたい 自分を見つめて

 

 

 

 

 

明らめて

 

 

勉強をさせる んだよ

 

 

 

やり続けたくないものをやらせ続けてるんだから

させてる側は しょわないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんちって

 

 

 

 

卓球の時間だ

行ってきます