住む世界のちがい

 

 

交わらなければわからない。

 

 

 

自分と交差する人は、ほんのごくわずかだよね。自己紹介をするくらいの関係性でいっても、これまでの何十年で5000人はいかないとおもう。

 

 

実際には自己紹介をして終わりの関係性のほうが多いだろうし、

出会う人が 自分とはかけ離れてるというよりは

 

友だちの友だち  とか

 

ご近所 とか

 

知り合いの知り合い とか

 

取引先 とかなわけで

 

 

 

 

 

フィンランドの作家とか

シエラレオネに駐在している他国の外交官とかではないわけだ ぼくの場合。

 

 

 

 

交わりたいか というと 大きな論点になるから

 

それはおいておいて

 

交わるとしたら やはり人の集う場にいったほうがいい。

 

 

 

 

 

多分 勉強するより クラブにいった方が多様な人にであえる。

 

 

何年か前のお正月に ぼくの数少ない友人は そんなことを言ってた。

 

 

 

 

 

親として

 

 

一体

 

わが子に どうあってほしいのかね。

 

 

多くの世界にふれてほしいのか

 

 

はたまた 局地戦に勝ってほしいのか

 

 

 

 

 

 

自分の立場を鮮明に とは思うんだけど

 

 

何とも言い切れない ところがある。

 

 

 

 

 

たくさん笑って 健康で たくさん好きなことや たくさん勉強をしながら おおきくなってほしい。

 

 

 

 

 

 

 

未来にたくさん笑うために いま

たくさんの勉強を努力するべきなのか。

 

 

たくさん笑ってほしいけど

負荷もかけて 頭をつかってほしい。

 

 

 

 

なんとも矛盾しているような気もする。

 

  

 

気もするんだけど

たくさん笑ってほしいのは ぼくの願い というより

  

親にしてみれば ひっしな顔より楽しそうな顔のほうがいいってだけかもしれない。

 

 

 

  

  

 

 

ぼくに限っていうと

 

ゲームやYouTubeをみながら ケタケタ笑っているのを見たいわけではない。

 

いつもニコニコしていてほしいけど、実際の中学生をみていて集中しているときにニコニコしている人はいないから

  

 

やっぱり いつもニコニコっていうのは スローガンみたいなもんかな。

 

 

短距離走でニコニコしているのは小学校低学年くらいまでなんだろう。

 

 

集中すべきときに 集中できていないのは やだな。

 

 

 

  

 

 

勉強で あたまをかかえているのは

 

むしろあるべき姿とおもってる。

 

テストでなければ、解けるか解けないかより、頭を使うことこそが 大切だ。

 

 

 

 

ふだんから頭をかかえるほど 頭を使うべきだ。考えないと いくら文章題の前にたくさん座っていても 全然かわらなかったりする。

 

頭は絞らないと よくならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべて うまくいってほしいよね。

 

 

 

 

そうはならないかもしれから

 

 

今日も こつこつ 勉強をして学力を伸ばしたらいいとおもう。

 

 

 

 

 

好きなものは変わるのが当たり前だし

 

たくさんヘラヘラしててほしいわけではない。

 

 

 

 

 

今日もたくさん 勉強して

 

自分の積み重ねで 未来をきりひらいていってほしい。

 

 

 

 

 

  

そんなことを ふとおもった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて 教室に行く前に畑でもみてこよ