「えぇ やってたと思いますよ。部屋に行ってたんで。」
自室にいることを勉強していることと思うのはとても危険なんだけど、この感覚 保護者の方にはもしかしたら伝わらないのかもしれない。
ぼくは勉強に関して 子どもたちの言うことを信じることは無い。
これは本人たちにもはっきり言ってる。
こどもが勉強について 言ってることをうのみにするのは
とてもとても危険。
部屋にいるときは遊んでるとき。
少なくともぼくは
結果からの逆算をするとき 家庭での学習を計算にいれることはしない。
もし家での勉強に効果を期待するならリビングで勉強させたほうがいいと思うよ。ぼくはね。
アウトプットを確認するのも効果的だよ。
言うことを聞けば の話しではあるけどね。
信じたいよね。うん。
そりゃそうだ。
こどものいうことを どこまで聴くのか
親のいうことを どこまで聴かせられるのか
ご家庭の価値観によるところではある。
どれも正解だものね。
学力を上げるって観点からいうと
勉強はしないと伸びないから
粘り強さや やり抜く力は不可欠だよ。
今日だけで同じことを3回 お話した。
「子どもは勉強をしたくないことの方が多いですよ。諦めるのは いつもおとなの人たちですからね。粘り強さが求められているのは、おとなですよ。子どもはよくみてますからね。」
なんだかんだ諦めるのは 大人。
勉強への粘り強さや 勉強の優先順位は 家庭の価値観があらわれるとこだと思うよ。
勉強する自分を大切してこなかった人に勉強をさせるのは
まわりの大人の本気が必要とおもってる。
本人に持続可能な やる気なんて待ってもないんだから。
駆け出しでコマ売りしてたころは
「スモールステップで成功体験を」
って言ってたけど
実際 そういうことじゃなかった。
意識が変わっていかないと なんも変わらなかった。そして意識は これまでの人生の積み重ねそのものだった。
これまで諦めちゃうところで粘り強くいなきゃいけないんだよ。変わるには。
まわりの誰もがね。
そこまでやらなくても?
その基準が 学力によって 全然ちがうんだ。
まわりが
自分ごとにしているかどうか。
子どもの未来に 子どもの学力が関わるなら
それはもう 自分ごとにしていいよね。親として。
粘るのは誰か
期待感を伝えるのは誰か
すずのきは諦めないし
本気
全員にそのスタイルがあうとは限らない
結局 勉強は やるかやらないか
やってきたか やってきていないか
どうありたいかの話しなんだとぼくはおもってる
意志あるところに道はひらける
なんて言った人がいるけど
逆もまたしかり。
ただ 本人の意志に期待しているうちは全然 学力はびくともしないよ。
何もかわらないと思って ほぼ間違いない。他責は伝わるよ。勉強は自分とむきあうものだからね。
意志っていうのは まわりの大人の意志。
勉強なくして学力向上はあり得ない。
どうあってほしいか の問題が大きいんだよ 勉強をがんばれるかどうかって。
負荷がかからない人生があるならいいけどね
勉強でこらえられるようにしておいたほうがいいんじゃないかな
自分に向きあう訓練をしておいたほうがいいんじゃないかな
ねばり強さって ねばらないとつかないと思うけど
余計なお世話だけどね
どうにももどかしくなる。