迷うことはありません。
勉強させて可哀相という気持ち
必要ありません。
引っ張る側に 妥協があっては 引っ張る力が中途半端になります。
引っ張るなら
お子さんに迷いがでやすくなるのは避けるべきです。
中途半端な引っ張りでは
全力を引き伸ばす勢いが弱まります。
何も ずっと厳しい顔をすることはありません。
ただ、
しめるところで主導権をあけわたしては
どんどんどんどん勉強からそれるとおもいますよ。
18歳まで勉強をさせ続けるのは 本当に本当に 難しいことです。
勉強以外のこともさせたい!
わかります。わたしも休日のたびに葛藤します。
一瞬。
でもすぐに思いなおします。
仕事がら 勉強できないで困ってる中学生にたくさんあいます。
前職では 勉強できないで困ってる高校生にもたくさんあいました。
自分のむすめとむすこを思いうかべたとき
そちらのほうが よほど いやだなー と思うんです。
小さい頃に鍛えなかったばっかりに
もはや 椅子に2時間座っていることすらできないところからスタートする。
人の言うことを まともに聞いてられないところから 何かをはじめる。
学校の黒板の中身が 理解できなくて ただただノートにうつしてる。
わたしは 本当にかわいそうだな と思います。
余計なお世話ですが。
本人はさして困っていないこと、
でも本人はさして困っていない学力が進路の可能性に大きく関わっていることに残酷さすら感じます。
言い過ぎかな。
でも そのくらいの重みを感じながら わが子と お預かりする子に接しています。そこまでいたってる子には 何とか挽回するように ひっくり返せるように接しています。
勉強をさせることは とても良いことです。
勉強をさせないことは 大きな大きなリスクをはらんでいます。
勉強で困る人たちを見てきて 心底そう思います。
鍛えるのは本人の責任ではありません。
少なくとも 小さいうちは特に。
保護者の役目と思います。
ものには程度があります。
が
勉強に させ過ぎは ないと思います。
引っ張る人が 半端では
引っ張られている人が 気の毒です。
わが家は勉強をさせる と決めたほうがいいです。
優先順位を明確にしたほうがいいと思います。
本人が 迷ったときに それていきますよ。勉強の道から。
勉強させ続けるのは とても難しいですからね。
徹して大丈夫とおもいますよ。
勉強をすること にそれだけの価値があるか?
ある と決めて大丈夫と思いますよ。
少なくとも『勉強することは大切』っていう価値観は 受け継がれるんじゃないですか。
「やってもやらなくてもいい」
お子さんの前では 口がさけてもいってはいけません。
「こっちをやるの? それともこっちから? どっち」
2択なら そんな2択ですよ。
別に狂気でも何でもありません。
ごく普通の感覚です。
勉強ができるようになっていくってことを一体 なんだと思ってるんですか。
たくさんの親が 目指すところです。
勉強させ過ぎかな?
勘違いです。絶対にそれは勘違いです。
勉強にさせ過ぎはありません。
教育は
熱が大切ですよ。
勉強は したくないときの方が
圧倒的に多いですからね。
熱が伝わりやすいうちに
あたり前の基準を
がっちり上げておきましょ!
勉強 勉強 勉強 勉強
そんなもんですよ
疲れたら ご連絡ください。
「勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強」
そう唱えます。
人を勉強させ続けるのは 難しいです。
迷うエネルギーがあるなら
何をどう勉強させるか それだけ考えたらいいと思います!
親がぶれたら 子はもっとぶれます。
勉強させる そう決めたなら 必ず成功させましょう
そんなことを思います。