勉強に終わりがないこと
果てしないないことを受け入れとかないと、
「終わらせる」もの
と勘違いさせると、
果てしないと気づいたときに 絶望感を感じるかもしれないね。
親の声かけが生命線で
「終わらせちゃいなさい」
を数百回浴びせれば、それはもう
勉強が 終わらす類いのこと に変わるとおもう。
勉強は終わらすものではないよ。
やってもやってもきりがないし、
勉強しても勉強しても忘れていくものだから。
「終わらせちゃいな」は未来の絶望感を演出してるようなものだから、本当に本当に気をつけたほうがいいと思います。
勉強を苦役にするかmissionにするか
タフさよりも
人間の知恵の集まりなんだから終わらなくて当たり前
って感覚を持ってるかどうかが大切な気がしてきた。
終わらせるものなら 簡単でいいんだけどね。
きりがないんだよ。勉強。
それは事実なんだよね。
日々 燃焼できるか。
きりがない中
知ることを増やしていけるかどうか。
自分を育てていく感覚を持てるかどうか。
【終わらせるために学ぶ】は
ちょっと意味がわからない。
ぼくは「終わらせちゃいな」と口にすることはない。
勉強はすればするほど 終わりがみえなくなる。
終わりを探させたら、挫折するよ そんなものないんだから。
そこから進めるとしたら、進路に希望をもったときだけだと思うけど 高校生といえど 進路がバチッと見つかる人は少ないからね。
「終わらせちゃいな」を勉強に使うのは できれば夏休みの宿題くらいにしてほしい。