小中高と その問題ができること自体にたいした意味はない。

 

 

 

言語化できて 再現性を持たせられないと

 

似た問題が出たときに点数にならない。

 

 

 

 

 

 

途中式を書かない人は 場当たり的。

 

言語化能力も上がりづらいし、その重要性を認識できていない。想像できていない。

 

 

 

難問が解けることなど 社会的にはどうでもよくて

 

天然資源の少ない日本は

 

教育を通して

言語化・抽象化の能力を磨いて

 

 

個別具体的な事例に適切に対処していく能力・人に伝えて集団にはたらきかける能力を磨いてるわけだけど

 

 

 

なんせ 言語化をさぼっていると 言語化能力は磨かれないままなので あやふやな場当たり的な問題処理に終始する。

 

 

NHKの番組 プログラミング的思考 テキシコーHPより

 

 

 

 

なんとなくで解けるのは 天才 だけなのに、簡単な問題だけなのに、

 

過信が過ぎて 抽象化の能力を磨けずに埋もれる。そういうときぼくは ハッピーだな とおもって答案やノートを見てる。

 

 

 

 

自然 見たことのある問題しか解けなくなる。

 

 

 

 

 

対処したことのない問題には手も足もでなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手を動かせないハッピーな人が伸び続けることはない。

 

頭の中で動かすより 紙面で思考を動かす方が 効率が抜群にいい。

 

 

 

それにすら気づけない者が

先々 難問を解けるようになるとは思えない。

 

高2以降の数学は抽象でいっぱい。

 

 

 

 

 

 

勉強はしなければできるようにはならない。

ハッピーなままな人は抽象化が弱いので、応用できなくなり挫折していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

し続ける人は 当然 勉強をし続ける難しさを知ってる。

 

 

採用基準に 学力が入るのは ある種 しぜんなことだともおもう。

 

 

元気のよさが入るのも しぜんなことだとおもうし。

 

 

伝える力が入るのも それもしぜんなことだとおもう。

 

 

 

 

 

体力や気力が弱ければ 勉強をし続けるのは無理。

 

 

 

教科学習は いろいろと効率がいいんだと この仕事をして とても思うようになった。

 

 

 

 

今日もがんばろ