手順を言語化する能力

 

 

1行問題や 計算問題ではなく

 

受験問題くらいになってくると

 

問題が複雑化し、一瞬で解法が閃くことは少なくなってくる。

 

 

 

  

こういう問題のときには こういうふうに解くよね

 

という 場合分けは

 

勉強効率を上げていくためには不可欠である。

 

 

 

 

なかなか成績が上がっていかない人は

 

問題を解き終わったときに、回収するものが少ない。

 

  

 

解いて 間違いにこそ伸びしろがあるという理解・感覚が浅い。

 

 

 

なので ○×をつけておしまい。2度解いておしまい。3度解いておしまい。

 

 

 

 

何をどう気を付けたらいいか。次にこんな質問が来たらどう向き合ったらいいか。定着させるために いつもう一度やろうか。

 

そういった観点が弱い。

 

 

  

 

 

 

解いて ○×の後こそ もっとも効率よく勉強できるポイントなんだけどね

 

そこには回収すべきものがたくさん落ちているんだけど、

 

×は 単にゴミの山にみえているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

中学生 に 間違えたときに どう解いたらいいのか

どういうところに気を付けるか 言語化してごらん

 

という話をした。

 

 

 

下の学年の数学ノートを見せながら 説明した。

 

 

 

 

  

ある一定の偏差値帯にのぼっていくまでは

 

ぼくは数学でも理科でも

 

解く手順を言語化したほうが 勉強効率が上がっていくと思ってる。

 

 

  

次の問題にとりかかる時間が1分おくれるし

 

どうせ見直しはしないんだけど

 

  

 

 

それでも

 

 

どういう問題のときに どういう手順を取るのか

 

そういうことを言葉におきかえられなければ

 

次に 似ている問題にであったときも やっぱり自分にたいして指令は出せないはずなんだよね。

 

 

 

延々 覚えた気になって でも気をつけられなくて...

 

を繰り返す。

 

 

 

 

 

 

 

それすら 

自分で気付くべきだと思ってるし

 

そうしてみたら っていうのは 何度も話してきてるから

 

強制したりはしないんだけどね。

 

 

 

そろそろ切羽詰まってきた人に

 

本当に苦しむであろう 受験理科 に入る前に

 

あらためて 話しておいた。

 

  

  

 

 

解き直し直後に説明できない問題は

 

次 当たったとしてもまぐれ

 

 

 

そういう感覚を自分で身につけていくのが

大発見だよ

 

 

 

 

 

全部 自分で発見してほしい。

 

進学のために勉強してるんじゃ もったいない

 

 

勉強の仕方は ドリブルの仕方と同じ

 

 

 

人の数ほどあるし

自分で良くしていくから面白くなる。

 

 

 

 

 

だれかに教えてもらうもんでもない

 

 

 

 

ぼくはそうおもうんだけどね

 

 

 

 

それでも 焦ると口出しをしてしまう。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

やっぱり 受かってほしいんだよね 目の前の生徒たちに...

 

 

 

 

  

ふぅ-