さっき 小学生と保護者の方と面談をしていて
間に合うかどうか 自分ががんばりきれるかどうかについて
「不安があってもいいんだよ」「そのくらいでちょうどいいんだよ」
なんて話をした。
学力上位の子たちがなんで 学力上位かって話だね。
勉強には もちろん意欲は大切だし
目的意識も大切だし
机に向かう習慣も大切だよね。
それと同じように
危機意識だったり
不安だったり
そういうものが強いと 勉強強度を上げるガソリンになると
今まで生徒たちをお預かりしていて感じるところだったりする。
それをいつでも表出させてると ちょっとそれはそれで 舟が揺れやすくなってよくないんだけど
学力上位の誰しもが
自分がいかに忘れやすいか
自分がいかにさぼりやすいか
このままのペースで大丈夫か
そういったものを抱えながら走ってるんじゃないかな って
ぼくなんかはおもう。
たぶん その不安を持っていないと 定着に意義は見出しづらい。
書いてあることを覚える っていうのは、理解とは違って
そんなに楽しいことでもないからね。
不安が無くなる状態って
安心
だとおもうんだけど
それは こないだ読んだみうらじゅんが言う通り
油断してる
って状況だとおもうんだよね。
点を取るための勉強に 油断 は 馴染まない。
だから 不安 っていうものを
いつも抱えながらでいいんだよ
なんて ことを思いながら 不安でもいいんだよ って話をした。
そこを競争であおるのが 集団塾の効果的なとこだけど
競争だけで煽ると 上のカテゴリーで 競争に勝てなくなったとき 燃え尽きやすい っていうのが ぼくの持論。
競争には 終わりがある。
本人が燃え尽きたとき。
勉強し続ける人になるなら たぶん競争要素を少なくして走った方がいい。
不安を抱えつつ独走できたほうがいい。
どんな不安がうまれるのかは その人次第 その時だと思うんだけど
相対的なものとだけ向き合わせるよりも
なるべく テキストと向き合わせたいな ってぼくはおもってる。
長ったらしくなったけど
不安なままでいいよ
って ぼくはいつもおもってる。