新潟と東京の子たちのタブレット学習の取組を
見ていると
千葉県で遅々として進まないタブレットの取り扱いについて
思うことがある。

コロナ禍で タブレットが配られる前から
すずのきでは 20台くらいPCをおいて
デジタル教材での学習をみてきたんだけど
学力を上位に引き上げる! っていうのでないならば
平均的な理解を目標にするならば
デジタル教材はうってつけだとおもう。
当該学年の学習が簡単な ばしばしできる子は 先の学年の平均的な理解を手に入れることができる。
なんで 公教育はPCを入れないんだろう 本当に効率の悪いことだな- とずっと思ってここまできた。
簡単なPCのロールプレイングさえ座っていられない子にだけ 教員がサポートしたら
算数も国語も 誰にとってもハッピーになると ぼくは想像してる。
設計と
思想的な裏づけとか必要なのかもね。
教育基本法
(教育の目的)
第一条
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
ばらばらの進度や PCでの学習では 人格の完成 が難しくなるのかな?
ぼくはそうは思わないけど。
他の国のことは知らないけど
日本では
確かに
授業への信仰ってあるよね
テキスト読めるように育てた方が よほどに
平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質
を育成できるように思うけどね
いったい どれだけの人間が授業からこぼれ落ちてるかなんて
高校まで進んだ全国民が実体験から理解できそうなもんだけどね。
コロナ以降の小中学校の教室の現実とか
いくつか見学したら
国民はタブレットを本格導入することに賛成すると思うんだよね
授業で権威づける って
それ 学びの本質と関係なくない? とよく思ったりするんだよ
わからないところは聞けるほうが効率はいいと思うけど..
それも AIがピンポイントにやってくれるからね
PCを
使えるようにしたほうがいいんじゃないかな- と
わがやの子どもたちの使わない充電コードを見ながら 思ったりなどする。
授業信仰…
読んで考えられるようにさ そっちが先でしょうよ


