がんばり続けられる子とがんばり続けられない子の差は何か?

 

 

 

 

 

がんばり続けられない人たちは

 

読まないだろうから

 

本音を書くよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親だと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

一歩を自分で踏みこませるのか

 

 

手を差し伸べて護ってあげるのか

 

 

 

粘り強く育てるのか

 

 

 

別の道をさがす柔軟性をのびのびさがすのか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何を良し とするかは本当に人によって違う。

 

 

 

 

体調優先は

 

親ならそりゃ 体調優先だよね。

 

 

もがき苦しむわが子はみてられないものね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃ 将来は?

 

 

 

 

いま 壁に向き合わせなくて 将来は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多かれ少なかれ

無理はしてるよ 誰だって。

 

 

 

 

だって 

 

あれだけ通って授業を受けてる学校で

 

勉強しても定着しないんだからさ

 

それ以上に

 

勉強しなきゃ定着しないじゃん。

 

 

 

 

 

 

無理をさせる度合いがほんと人によって違う。

 

 

 

 

 

「うちの子はビシビシやってください」

 

っていう人ほど

 

親ストップがはやかったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親の存在って 本当に大きい

 

 

 

 

 

 

 

ずっと護ってあげられるの?

 

 

それはまもってることになるの?

ほんとうに寄り添ってるってことなの?

 

  

 

 

乗り越えられる壁から遠ざけるから

いまがあるんじゃないの?

 

 

 

 

 

 

ぼくは

 

乗り越えなきゃ

 

学力が上がらないから

 

壁を設定してるし

 

壁の高さは 人によるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでのがんばりを

 

ムダなものにかえってしまってるのは

 

 

背中の押し方が足りないんじゃないの?

 

 

 

 

 

こっちが水いれてるのに

そっちが水ぬいたらさ….

 

 

 

 

 

 

なんのためよ、まったく... 

何からまもってるのよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親があっての がんばりだよ

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんばっている子の親は自覚してると思うけど

 

 

 

 

 

 

 

 

当たり前だけどさ

 

 

あなた方ありきのがんばりに他なりません

 

 

 

 

 

 

 

干渉の度合いは

 

年齢が上がるにつれ

 

手を放していかないといけないとは思いますが

 

がんばりの土台

 

当たり前の基準は

 

間違いなく

 

親が築いているものだと思います。

 

 

 

 

 

 

これからも模範を示してあげてください。 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

すずのきは

 

がんばれない人向けに

設計するつもりはないんだけどさ

 

それでも

 

あんまり がんばれない人には

笑顔で励まし続けてあげたい

 

 

 

それを見極める目を養わないとね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生徒に

『がんばり続けられる子とがんばり続けられない子をどう見極めたらいいの?』

 

って相談したら 2人からかえってきた答えは

 

「『なんのために勉強するのか』答えられるかどうかじゃないですか」

 

だって。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱ 親 なんだと思うよ。

 

『勉強をする自分』を大切に思わせられるかどうかなんだと思う。

 

 

 

 

 

ぼくも 精一杯 

『勉強をがんばることはいいことだね』

 

って伝えていくから。 

 

 

 

 

 

 

明日もがんばってもらおうよね