むすこの教育について夫婦で話していて公文について思ったこと。

 

 

今日の分の公文プリが教室にあるってとこから

 

 

いま、そのくらい適当にやってるプログラムを 今後どう持ってくかを相談していて ふと思った。

 

 

 

 

公文は しっかりと親にやりきる力を育てるためのプログラムとして良く出来てるのかもしれない。

 

 

 

 

 

塾で経験をしていくにつれ

 

幼小中高と  教育に大事なのは 親 

 

そういう想いが強くなっているんだけど

 

 

 

 

 

毎日継続できるか? 

どのくらいの量やりきれるか?

 

ここを試されて なおかつ進度で比較しやすい公文は

親を教育者に育てるプログラムとして

とても良くできてるシステムなのかもしれない。

 

 

 

 

本人の学力っていう面では 甚だ懐疑的なんだけど

 

幼小期のプログラムとしてたくさん使われている一端に気付かされたおもいだ。

 

 

 

 

 

3歳4歳5歳に 1日10枚 算国表裏で40㌻を数百日 続けるのって

 

意志の強さがいるんだよね。

 

 

 

さっき どちらかが 「公文のプリントじゃなく、うすいテキストにしない?」と言った瞬間に思ったよ。

 

 

 

 

あれは どんなに眠そうなときも どんなに機嫌の悪いときも どんなに自分が忙しいときも たとえ自分の体調が良くなくても 

 

親子で律することのできる 

いわば 司令官になれるかどうかの試金石なんだ。

 

 

 

(メンドウダカラアマヤカシタイ)