勉強しているのが楽しいようにみえる

 

むすめの昨夜の様子をみてると

100ます計算をしているのとか

 

そのあと

国語の 干支やワットを読んでるのとか

 

そのあと

社会のテキスト(関東地方)をおぼえるのでもなくみてるのとか

 

 

 

 

 

たぶん 

 

 

 

楽しんでるとおもう。

 

 

 

YouTubeとかゲームの方がのめり込むかもしれないけどね。

 

 

 

時期的なもんなのかね。

『知ることは楽しい』ねと伝えていけたらとてもいい。  「どんなことを知ったの?」とか「よく知ってるねー」とか言いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

と ハッピーなことをおもいかえしていたら怒声が。体温はかる云々で つまを無視して遊んでたっぽいな

 

 

 

 

…。

 

 

 

何度も同じことをどう伝えていけるかは

根気がためされるところなんだろうね。

 

 

 

 

 

人は指示をきかないし

指示をまもれないし

やりたいことしかやらないし

勉強や仕事は脳や身体がつかれるから拒絶することもおおいし

いきなり勉強ばかりの生活なんておよそ無理だし

変わっていくのは実際のとこ 1ミリづつだし

自分の基準と人の基準は まるでかけ離れてるものだし

 

 

それでも社会はまわってるし。

 

 

 

 

ま- 思うように生きているわけだから

どこまで自分をコントロールして生きていくのかは

 

その人次第だよね。

 

 

 

 

 

 

 

その人がコントロールしているもの を一気に変えるのは およそ無理なことは

 

この10年で 身に染みた。

 

 

 

 

 

今日も一歩 明日も一歩

 

一歩づつ踏み続ける

試行錯誤しながら踏み続ける1日にしたい。

 

 

 

一歩 ふめるのかどうか

前をみて 後ろをふりかえって 工夫できるかどうか

毎日踏み続ける 才能があるかどうか

 

 

その能力を伸ばしにいこうとするかどうか。

 

 

そこにかかってる。

 

 

自分を御すのは難しいよね。

 

 

 

 

だから 挑戦するのがおもしろいんだとおもう。