どこにチャンスがあるかはわからない

 

 

 

毎週の漢字チャレンジ地獄

 

 

小5にして小6にして味わった現高1がいる。

 

 

 

 

 

ぼくと お母さまと 文字と さまざまなプレッシャーに追い込まれ

 

 

彼は小6の夏前  ペンギン村に旅立った。

 

 

 

 

 

 

月日は流れ

 

 

中2の春   彼は2年ぶりにすずのきへと戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再入塾金1億円の条件を乗り越えたのは、短くはあるけれどすずのきの5年と少しの歴史において 後にも先にも彼1人である。

 

 

 

 

 

 

 

昨日 午前中に

 

4月に入ってから何日くらい来てないか聞いてみた。

 

 

 

 

 

 

都内の学校に通い、テニス部に入った。

テスト結果は まだ順位は出てないけど まぁまぁ。

 

 

 

少なくとも中学校のときよりは上位につけてるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

来てないのは4日くらいだそう。学校の旅行とか、大学の説明会とかいってたはず。

 

 

 

 

 

 

ぼくは 高校生が休むことについては よほど顔つきがあやしくなってきたとき以外 何も言わない。高校生は勉強が嫌すぎて、ときに本当に顔が歪んでくる。

 

 

 

 

いろいろあるとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休めばいいとおもってる。

 

いちいち報告するようにともいわない。聞きたいとも思わないし。

 

 

 

 

 

 

言ってくる人が多いけれど 高校生の予定とかぼくは秒で忘れるから 言わなくてもいいのにな- といつも思ってる。

 

 

 

 

高校生は 98%くらい 自分で決裁権を握るべきだ とおもってる。誰かにわたすなんて他責の人間になってしまいそうでおそろしい。

 

 

 

 

 

もちろん 干渉する。がんがん干渉する。保護者の人ができないくらい『勉強勉強勉強勉強』干渉する。「30分すずのきで勉強する時間があれば必ず来い」といつも言ってる。おいで じゃなくて 来い と言ってる。でないと勉強はどうでもよくなる。大半の高校生は勉強をしない。テスト前の勉強は、勉強とはいわない。ただの行事。それでは高校の学習内容についていくのは無理。少なくとも受験では使えない。『勉強勉強勉強勉強』ぼくはそう伝えてる。良いも悪いもない。そういうポジションに徹してる。ものわかりのいい風になったが最後、大切な大切な生徒の脚がとまる。それは彼らの今までのがんばりに対してあまりに無責任だとぼくは思うし存在価値が薄い。

 

 

 

 

 

 

勉強をがんばることは チャンスをうむ。日本の高校生にとって、効率よく未来をひろげるビッグチャンスだともおもう。

 

 

 

 

 

上↑の高1は おそらくチャンスをひろげ続けてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

人生がかわる   とは言わない。

 

 

どう変わるかはまったくわかんないから。

 

 

 

人生がかわる とは

いわないけど

 

 

 

すずのきの高校生たちは

 

自分自身の意思と行動で

進化し続けてる

 

 

 

そう感じる。

 

 

 

 

 

 

チャンスをつかみ続ける

 

毎日

毎日

 

 

 

 

 

 

それは 非凡なことなのは間違いない。

高校生の期間中 曇った感情を持つ機会を減らしておく。それは高校生活でとても大切なことのようにぼくは思ってる。

 

 

 

 

 

動画にSNS

 

 

 

あまりチャンスにはならない時間の使い方だとおもう。

 

 

 

勝ち負け ではないけどね。

 

 

 

 

チャンスはチャンスに見えなくてさ

 

 

 

気づいたら 『あれが成長の要因だったか』みたいな感じなんじゃないかな。

 

 

 

 

 

目の前の1つから どれだけ吸収しようとするか 効率よく生きようとするか じゃん?

 

 

 

それが『前向き』ってことなんじゃないかな

 

 

 

 

 

 

がんばれる っていうのは 実は特別な才能なのかもしれないね。

 

 

 

 

 

 

 

今日も べんきょうべんきょう さけんでこよ。

 

 

 

 

 

 

 

もがかないと現状維持で埋もれてく。

高校生も ぼくも。