やる気の出させかた

 

 

 

 

それはもう  一般論では片づかない話なんじゃないかな

 

 

 

 

 

 

短期的なゴールっていうなら 燃えつきるのは覚悟して競争であおるのも効果的だとおもう。

 

 

同調圧力で まわりと歩調をあわさせるのも 確率が高くなりそう。

 

 

 

 

 

 

 

結局のところ ジョギングやダイエットと同じで

勉強をし続けるのはとってもむずかしいんだとおもってる。

 

 

 

その人その人でモチベーションも性格もちがうわけだから どうしたもんかな-とおもいながらひとりひとり顔をうかべて かける声を考えとく準備くらいしかできない。

 

 

 

 

 

結果 全員がやる気で満ちあふれてるなんて とても言えないし

 

 

 

「やる気は求めてない」「ここに来たら勉強するだろ?」「こい」

って言ってるくらいだから

 

 

誰にでも通じる やる気の出させ方は ちょっとわからない。

 

 

 

 

 

  

それぞれ用にプリントを用意して意図とともに手渡しして なんてこともはじめはしていたんだけど

 

あまり効果がなかった。

 

 

 

 

 

 

試験直前でも1日ずっと勉強し続けられる人なんて そんないないから

 

たぶん ずっと勉強 たくさん勉強 って世界は

 

 

 

家の人が追いこまない限り むずかしいとおもってる。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

「どうしたらやる気がでるのかな?」  は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで勉強するんだろう?」

 

と同じ類いの問いなんじゃないかな?

 

 

 

 

 

それを考えるよりも 机にすわって 頭を使うほうがはるかに結果に結びつくわけで

 

 

やる気とかを定義づけてる暇があったら 座ることに全力を傾けた方が 目的にかなうとぼくはおもう。

 

 

 

 

 

  

 

 

勉強に向きあえないから その方法として 勉強する意義を他のこととてんびんにかけるんじゃないかな。

 

 

 

 

めずらしいことでもなんでもなくて、大多数の高校生はそうだし

大多数の高校生だった人たちだって中学生の人たちだって

そうだったんじゃないかな。

 

 

  

 

瞬間風速じゃなくてね  常日頃の勉強とのすごし方として  ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

行動のつみかさねが 意志をつくることもあるし

 

 

なにより 「なぜ勉強するのか?」って問いにたいして

だれにでも いつでも 『じゃあ勉強をがんばろう!』とおもわせてくれる答えは見つからないから

 

 

 

やる気 さがしは 結果を求めるなら 避けた方がいいとおもう。

 

 

 

 

 

とはいえ、ぼくは『なぜ勉強するの?』は30年くらいさがしてるんだけどね。みんなに響くこたえは見つかってない。

一緒に悩むことはいくらでもできるけど、ぼくは勉強をはかどらせる仕組みのひとつだから、あしをとめるのをよしとはしない。

 

『考えながらも 行動することこそ 答えに近づくんだ』と

理不尽と言われようが 頭ごなしと言われようが 『生徒たちが勉強をする』ということにこだわってる。

 

 

 

 

 

 

 

あたりまえに勉強させたらいいし、勉強するように仕向けたらいい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強なんて するだけなんだからさ 

 

 

したらいいんだよ

 

 

 

 

 

運をつかむ とか

才能を発見する とか

そういうことを言ってるんじゃないんだよ

 

 

 

やればいいだけの分野なんだから

 

やりきる能力をみがくんだよ。

  

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

むずかしいはなしじゃなくてね

 

 

優先順位の筆頭に持ってきて

 

 

最優先 かつ ほとんどの時間的な資源をそこに放り込めばいい。

 

 

 

 

 

 

 

やる気  じゃなくて   気迫。

 

 

 

 

 

 

 

 

大切なのはね。

できる と決めて やってみること

 

 

 

案外 できちゃうから。