手をかして手をかして手間をかけて手をかして

 

 

 

  

 

 

  

そうして本人の意思や工夫するポテンシャルを削ぎ取っていく。

 

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

 

  

 

勉強は 自分で伸びた方がいい。

 

 

  

 

  

 

 

  

 

  

  

 

  

 

 

 

 

 

 

その方が 勉強し続ける可能性が高くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

それは もう まわりにどんな友達がいるかといった環境よりも

 

はるかに大事な要素だとおもう。

 

 

 

 

  

 

 

高校の時

優秀な子のまわりには 優秀な子がそろってた?

 

 

 

 

  

 

 

 

たぶん そんなことないとおもう。

 

高校の入り口は 同じような偏差値帯でも

 

出口は全然ちがってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局 勉強なんて ひとりでするものだから

 

はやくから 自分を育てる感覚を持つチャンスをわたしていかないと

 

 

 

 

やれ 先生がー

 

やれ テキストがー

 

 

 

 

って 矢印を自分に向ける力が弱くなる。

 

 

  

 

 

  

 

 

 

でも

 

 

結局 自分で定着させる力や 読む力 実際に行動する力を育てておかないと

 

勉強を自分ごとにさせてあげないと

 

 

 

 

 

 

自分を育てる能力が強くならないし、その楽しさに気づきづらくなっちゃうかもだよ。

 

 

 

 

 

手をかして 本人の伸びるタイミングと速度を遅くしてるんじゃ

 

ぼくは本末転倒なんじゃないかと

 

 

  

 

ひそかにおもったりしてる。

 

 

 

  

 

 

 

 

『自分は自分で伸ばすもの』

 

 

大前提としてはやめにたたきこんだ方がいい と ぼくは思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

放置ではないよ

 

 

 

 

 

  

となりかうしろに陣取って

 

 

 

自分でやりなさい 考えなさい

  

って ちょうど背伸びすればできることをたくさんさせていくの。

 

 

 

 

 

 

 

 

たくさん 突き放すの。

 

 

 

 

 

 

 

自分で考える回路やマインドなんて 何年もかかるからね。

 

まして 工夫をたくさん生み出すようになるには さらに時間がかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

手をかせばかすほどに 高校受験どまりになっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

それはそれで ひとつの到達点なのかもしれないけどね

 

 

 

 

 

 

15でピークをつくることもないんじゃない?

そこまで手を貸すなら 徹底して貸してあげないといけないんじゃないかな?

 

 

 

 

 

っていつも ふんわりおもってる。

 

 

 

 

 

  

 

たまにね

月に何回かやってみるといいとおもう。

 

 

何時間も隣で ただ黙って 終わるのを待つ。

 

 

 

 

何時間も何時間も待つ。

聞いてきても突き放す。

 

 

 

  

×だけつけて 考えさせる。

 

 

 

 

  

1問に 数時間かかろうが

 

駄々をこねようが

 

 

  

徹底する。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

手を貸す っていうのは

 

勉強において

 

本当に 正しいことなのか 

 

あらためて考えながら突き放してみてもいいとおもうよ。

 

 

 

そんなことをやっていくと段々とかわっていくとおもうけどね。

 

 

 

 

 

 

子どもも成長するし

 

何より

 

 

たくさん自分で考えさせないとな って。

 

 

 

 

少なくとも 大学受験をするなら

 

一番 必要な能力だとおもいますずのき。

 

 

  

 

 

 

冬休みは すずのきで たくさん突き放しつつ

キャッチアップしつつ

巻き込んで勉強させつつ

声をかけつつしていきますからね。

 

 

 

 

そのあと 1月

 

ゆるめずに 一歩一歩 すてきな2023年にしていきましょうね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ね!