国語は 十数年のつみかさね
そういう科目。
そう言いきっていいのかわからないけど
そう言いきったほうが 言い訳がしやすいから ぼくはそう言いきることにしてる。
言葉のストック
言葉の感覚
言葉への感性
そういうものが必要になるし、普段からどう言葉を受け取って転がして眺めてるかが鍵だとおもってる。
よく 言ってるのは 「対義語を考えるとその言葉の意味がわかりやすいね。類義語もかんがえて、違いを見つけられたらすんごいね。」とか。
ただ
それが 話してる相手にどれだけ響いているかはまったく懐疑的。
国語っていうのは そういう科目だと思ってる。
ぼくの中では
よくある 板書をして、一問づつ解説をしているのは
ひたすらムダで
その一問がどうでもいい人の集中力を失わせるし
たくさん ノートをとらなければいけないのも疲れる。
ああいうのは どうして ああしてるのかわからないけど
数十年 数千万人 あれで勉強しているのは、国家的な損失な気がしてならない。
というのは
母が国語教員だった手前 内緒にしてる。
じゃぁ どうすれば???
って 対案は
いちおう あって
やっぱり
何度も 文章を噛み締めることだと思ってる。
そうしていくうちに 言葉や その行間
そうしたものの捉え方がかわっていくんじゃないかな
そうおもってる。
何をもって 深く読める とするかはおいといて
様々なものの見方をもつ っていう意味では
同じ文章を噛み締めて、自分の捉え方をいくつか持つ
っていうのは いいんじゃないかな っておもってる。
生徒に これもよくいうことなんだけど
自分の視点
作者や筆者の視点
そして 作問者の視点 それぞれ違うんだよ。
ちがって当たり前なんだよ。
と ぼくは思ってて
大切なのは 、点数がつく教科学習において
作問者の視点 を 育てられるのかどうかってことだとおもってる。
いい子ぶって おきにいけばいいんだよ
なんて 話したりもしてる。
要約や 話の続きを考えるのもいいんだけど
それだと継続的に取り組むのがむずかしかった。
当然 すずのきでも国語を伸ばすことはある。
いまは
初見の読解で
非常に解説が充実してるテキストを使ってる。
解説が充実してるから
疑問点や ここは納得できん!みたいな不満も出づらいテキストだ。
じゃぁ 何を色で書いてるのか っていうと
ひとつは
意味
辞書をひいて 言葉のストックを増やしてる。
人によっては 対義語も書いたりする。任せてる。
もうひとつは
まちがえた問題に
なぜ 自分が最初にそうこたえたか
意見を主張させてる。
解くときに
根拠をもたないと
緊張感を持たないといけない仕組みにしてる。
そうして 毎日イトウ提出にしてる。
ただ これ
まともにやると 1時間かかることもある。
そして なにより
まじめさが大切になる。
すずのきの国語は こんな感じ。
生真面目に取り組む科目として おいてある。
なかなか 大変な科目。