5歳にも 18歳にも
その空気を教室で出すことは 認めていない すずのき。
たぶん それが出てしまっている場 は
緊張感や集中力のうまれる場ではないとおもう。
いろんな塾があっていいとおもうけど
すずのきは そういう塾にはしない。
世界で一番 勉強が集中できる空間をみんなでつくってる。
なんの競技でもそうだとおもうんだけど
ゆるみ が ある場所での練習効果は たかがしれてる。
で その空気は みんなでつくっていくもの。
スタッフだけでなく 生徒本人だけでなく ご家族も ほんとみんな
みんなでつくっていくもの。
勉強 を 教えればできるようになるなら
学校があれだけ授業時間を確保しているんだから、みんな困ることはない。
集団塾だって たくさんクラスわけすることはない。
勉強は 何度も理解をかさねて、そして何度も定着をはかって
そうして 徐々に徐々に学力として つみあがっていく。
で日々 全身全霊で 勉強に最適な空気をつくろうとしているんだけど
そのことを
どれだけ面談で伝えても
その緊張感を持ったこと自体がないのか
すぐに緩んでしまう子が これまでたまにいた。
小学校 低学年どころか 年長さん年中さんでも
自分をコントロールして集中にむかえる子もいれば
自分をコントロールする経験値のすくないまま 身体が大きくなっていく子もいる。
ふしぎなもので 成長とともに変わるかと思いきや
変わらない。
勉強したくない って 自我は時間とともに大きくなっていくから
むしろ 変われない。
勉強がすべてではないから 別にいいとおもう。
ただ
ぼくは勉強したくない空気を出す子がどんどんその自我を大きくしていくのを1対2の個別指導でもすずのきでも みてきて
勉強をしたくないっていう自我を 放置してgoodなことは
勉強に関していうと 何もないな って思ってる。
勉強っていうのは 自分が出来ない問題に取り組まないといけないし
一度 わかったことでも 定着のために繰り返さないといけないし
なかには考えること自体が苦痛って子もいるしで
たいへんなことだとおもう。
特に 期限に迫られる勉強は たいへんだ。
自分を律するのはたいへんだ。
コントロールの仕方を いつ経験すればいいか ってかんがえたら
子どもたち数百人と向きあってきて
やっぱり 小さいときからのつみかさねなんじゃないかっておもってる。
大人のいうことに従う ってことじゃないんだよ
自分を律して集中する ってことなんだよ。
ねばり強さ なんて
取捨選択 なんて
自分を律することなんて
ガードをすり抜けながら育ったら
ぼくは勉強でのぞむのはむずかしいな- とおもう。 ぼくは。
のちのち こまるのは本人だし
未来の話ではあるんだけどね
甘やかすったって
甘やかしかたって それぞれだよな って
ぼくはつくづくおもうんだよね。