『他人』が教えないから、『自分』で気づける

 

 

 

 

 

 

教えたら 気づくことが減っちゃうでしょ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づけることが多ければ多いほど たのしくなる可能性が高まるじゃない?

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば 場合の数。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

❌で返し続けていって

 

 

 

書き出すと抜け漏れがすくなることに気づくとするじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも  これって

 

 

表にまとめた方が 楽だし速いよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で それは むすこやむすめみたいに たくさん机にむかう時間がある人には

 

 

 

なるべく教えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づくこと を たくさん経験した方が、気づきやすくなるでしょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

簡単に噛み含めるように教え込む ことと

自分で気づく力を伸ばすことって

 

 

 

反対のことなんじゃないかな

 

と おもってるふしがある。ぼくは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこまでも伸びてほしいじゃない。

 

 

 

 

教え込む人のレベルがどこまでも果てしないなら ずっと伸ばし続けてあげられるんだろうけどね。

 

 

 

 

 

勉強をみているとき

本人が気づくチャンスを大切にしていきたいとぼくはおもってる。

 

 

 

 

 

 

 

遠まわりが 遠まわりじゃなかったりするのが面白いんだよ  たぶんね。