今日は サピでむすこのテキストをわけてもらって
松戸でみれる自転車レースをみてきた。
目的は
自転車のプロをみることと
競輪特有の野次ってるヒト的な何かをみること。
ギャンブルのあそび方はな っていう話しをしといた。
子どもは あっという間に 親の話を聞かなくなる。
聞きたいことしか聞いてるふりをしなくなる。
ぼくは子育てのプロではないどころか、まだ10年ぽっちしか親をやってない初級者だから
どれが正しいか なんて 偉そうなことは言えないし
自分の子育てをさらすことでしか何かうみだせないけど
学力的には むすこは たぶん相当うまくいってる。
漢字以外は むすめの勉強進度を越えてるし
むすめを越えれば それは相当な勉強進度だとおもう。
そんな むすこに
ぼくは日に数回 左手を出すように言ってる。
朝だけで複数回伝えてる。
それが集中を引き出すとき、急ぐときに必要なことも
週に 何度も話してる。
勉強を始めるとき いつも声をかけて勉強へとうながしてる。
彼が
というか
むすめもふくめ
彼らが自分から勉強をすることは 年に一度もない。
全て つまかぼくにうながされてから始める。
そこに 彼ら自身の意志を問うことは無い。
やりたくない気持ちを喚起させるほど ぼくは下手くそではない。
わが子に必要だとおもうことは やらせておく。
でも それはぼくが思う必要だとおもうこと。
むすこが思う必要だとおもうこと じゃぁない。
どうしたら 左手 安定して出すのかね。
ぼくはむすこに寄り添わない。
寄り添えないし。
自分が必要だと思うことをする。
勉強したい? とか
勉強 たのしい? とか
馬鹿げた質問はしない。
らくなことだけ選ばされてると 仕事帰り スタート前の選手に至近距離で野次ってるようになるぞ
わくわくしてるようでわくわくのない人生かもしれないな
と
話さずに伝えてる。
「あの大声でプレッシャーかけてた人 当たったのかね-?」って。
ぼくは 必要と思うことをさせる。
そこに子どもの意思が発生するように誘導するけど、勉強はしたいからするものじゃないと思う。
子どもに選ばせる って耳ざわりのいい言葉
一方で 親のリーダーシップは足りてるの? と ぼくはおもう。
コドモサマを 何度となくみてるからね
聞いてるだけじゃダメなんだよ
もちろん そうなっちゃってから、言ってるだけでもダメ
たぶん 自我が充分に育ちきる前の親子間の仕切りが大事なんだと個人的にはおもってる。
人の話を聞く人に育てられるかどうか。
対話は大事だとおもうよ そりゃ
でも 話を聞いてると自主性が伸びるっていうのは ちがうような気がするけどね。もちろん 逆に親ブロックみたいなものもあるとは思うけど。
子育て全般
自分がやるのがいい塩梅。
そう思うのが 1番いいやね。
まさか6歳と車券を買う人生をおくるとは思わなかったよ ぼくも。
ぼくは ぼく自身がこまらないように 学力が上がり続けるように子育てをしてる。
で たぶん2人とも小学生のうちに 英数とも 普通の高校レベルはこえるとおもう。国理社も中受仕様の勉強で鍛えてる。
彼らはそのほぼすべてを 自分でテキストや解説を見ながら習得していく。
中高生に勉強をさせ続けるなんて
普通 無理なんだよ。
私立一貫校の環境だって ままならないし
船橋や東葛だって たいしてやれない子が10人20人じゃないんだよ 100人とかいるレベルなんだから。
どういう意識を育てるのか に かかってる。
ぼくは 必要なことはさせていく。
すずのきでやっているのと同じこと。
強い勉強で進み続けられるよう育ててく。