ぼくは 自学 という言葉を使わない。
勉強は すべて自分でするものだと思ってるから あえて自学という言葉はつかわない。
といって、何でもかんでもひとりでするものっていう原理主義にとらわれているかというと、そんなこともない。
大学・社会人と進み 対話の中でこそ深まっていく学びもある。
むしろ 学びは他者や自分との対話でもたらさせるものな気もする。
その土台として 対話できるように育てたらいいと思ってる。解説を読む力を育て、自ら調べる好奇心パワーを高めておきたい。
どんなに授業が上手な先生に教わっても、半数は身にならないはずだ。
それは定着させる力が弱いわけで、先生の授業ではなく、
意志の力
自分との対話で 『勉強する自分』よりも『勉強しない自分』が優先されてるんだろう。
どんなに授業のうまい先生でも
どんなに授業がへたくそな先生でも
日本の先生の99%は 教科書や問題集・参考書を生徒に持たせてるとおもう。
当然のことだけど
授業がうまくてもへたでも、『問題演習』を通して学ぶことが最重要であり
勉強の根幹だ。
『授業』はおまけ
本当に大切なのは 中身。『問題演習』を通しての思考・気づき そして定着なんだよね。
授業で テストの重要なところを聞く勉強もある。その方が短期的にみると時間効率がいいときもある。
ぼくはテキストから 脳を鍛える方法をとってる。その方が 結局 勉強する人として強くなるから。わかった風はいらない、理解することが大切だ。
授業を聞きながら自分の中で対話を重ねるのもいいし
問題の解説を読みながら、レクチャーのページを開き、ああでもないこうでもない考えるのもいい。
間違えた問題をいつどのタイミングで繰り返すのか検討するのも対話だ。
返ってきたテストの間違いを潰しにかかる復習も、自分が次に点を取る準備 対話だ。
そうした 『対話』 を積み重ねていくのが学びであり
『対話』の中に 発見が詰まってる。
発見をかさねて もっと『知りたい』『気がすまない』を育ててほしい。
自分で学ぶ というのは あたりまえなことで
『学び』は基本 そういうものだとおもう。
ぼくは管理されるのが得意な人を育てることはしない。自分は自分で育てるほうがたのしい。
基本姿勢を間違えて育てると伸び悩むことになる。
受け身 ありきになる。高くないレベルでの横ならびになる。それはとてももったいないことだ。