物事を巧みになしうる生まれつきの能力。
どんな分野でも 『才能』というのはあるんだろうか。
どの分野も突き詰めたことのないぼくにはまるでわからないんだけど
どの分野も突き詰めたことがないからこそなのか、それとも尊大な自尊心からか
『才能』の壁にぶちあたったことも『才能』に出会った記憶もないような気がする。
ぼくのであったことのある『才能』らしきものの持ち主たちは どれも工夫と積み重ねで培ってしまえるものな気がするし
それこそ力士やNBA選手には 出会ったことがない。
どちらかというと ぼくのごくごくせまい人生の中では『才能』らしきものは 工夫と積み重ね そのものだったような気がする。
自分自身は 工夫も積み重ねも足りていないから何者かにはなれていないおかしな前提で話すんだけれども
ぼくが観測する範囲では
『勉強』も同じことで
『才能』は これっぽっちも
必要じゃない。
4才くらいから 自分で考えるように1日1-2時間勉強しさえすれば 18才の頃 14年後には勉強で選べる進路はどうにかなるような気がしてる。
そこに『才能』は要らなくて
必要なのは 『実行する力』
ただ それだけなようにおもう。
1日1時間 『考える』を積み重ねる。
それは 誰だってやればできることで
でも
大人は特にそうだと 勝手に思うけど
『14年間 実行する』っていうのは 本当に難しいことだとおもう。
生徒たちをみていても
『ぶれずに実行する力』は学力とおんなじようなもので
たいていは すぐにアレンジを効かせてしまう。
決して目的からの逆算ではなく、自分にとって楽なようにアレンジを効かせてしまう。
で 目的から勝手に遠ざかっていく。
『勉強をやりきる力』 は 部活では身につかないし
そもそも それを継続的に発揮できる人は ほとんどいない。
たぶん 『実行する力』自体も よほどにレアな能力なんだと個人的にはおもってる。
やればできる
一見すると前向きな言葉に聞こえる。
でも ことさら勉強についていうと
『14年間やる』っていうのは すごくレアなわけだから
やればできる の できる も とってもとっても空っぽな言葉なんじゃないかな。
『やる』っていう 実行 にどれだけつきあってあげられるのか。
アレンジして目的に向かえずにぶれてく人間にどれだけつきあってあげられるのか。
1日1時間 『考える』を積み重ねる。
たったそれだけ
工夫しながら継続する
たったそれだけのことで
ぶれずに実行する力はついていくんだと 今ぼくは心からおもってる。
ぶれて実行しない経験 をなるべく積ませないっていうのも大切な気がしてるけど、それは検証しようもないことだから わきにおいておく。自我があればこそ だものね。
圧倒的大多数の人は 勉強の『才能』がない アレンジしてすぐ目的から遠ざかる っていう個性をふまえて勉強に取り組んだほうがいいようにおもう。
人は 思うほど賢くないし、思うほどに実行する力もない。口だけ。
口だけじゃなくすには それなりに実行につきあわないとならない。
口だけのペラペラ ってところから、現実を積み重ねて工夫していけばいいんじゃないかな。
実行を続けてはじめて 学力は上がっていくものだよ。
そこには何らかの意志の力が込められてると思わない?