いい点が2つ、うそがみえないこと 工夫していること

 

 

 

 

すずのきの休み中も 記録をしてみたら  と

毎日 勉強ノートに記録している中学生に話した。

 

 

 

 

いま  その子が帰ってったから 記録簿にはさんであるノートをみたところ

 

たいそう正直に書いてあった。

 

 

  

 

 

 

できなかった  ということもしっかりと書いてあった。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

  

 

それで いいと ぼくはおもってる。

 

 

 

 

  

 

 

だんだんできればそれでいい

 

 

 

 

  

とか  そういうことじゃなくて

 

 

 

 

  

 

できなかった  ときに  できなかった  と言えることが大切。

 

 

 

点数を取るための勉強なんて どこまでいっても 

自分と向き合ってかなきゃいけないんだから

 

 

余計なうそ とか 要らないんだよ。

 

 

 

 

 

できるだけ シンプルに。

 

 

 

 

  

 

 

あと ぼくが本人から状況を教えてもらうときに

 

なるべく正確に伝えてもらう方が ありがたいんだよね。読み違えが少なくなって。

 

 

そこに謙虚さも脚色もないほうがいい。

 

 

 

もちろん 聞いた話から ぼくなりに補整はするんだけど

 

補整は少なければ少ない方が 読み違えが少なくて 着地もうまくいく。

 

 

 

 

 

そういう意味で うそがすくないほうがいい。

 

 

 

 

  

 

 

 

  

信頼感を醸成すれば そこに うそはなくなるんじゃないか??? みたいに思う人もいると思うけど

 

それは金八先生の見過ぎかもしれない。

 

 

 

 

若者は 勉強をさせる人を そんなに信頼はしないし

 

仮に そうした関係性を築いた後、反抗期がやってきたら  そこまでつくってきた総てはひっくり返って 指導もへったくれもなくなる。 

 

 

 

 

 

何考えてるかわかんない  と思われてるくらいが 若者に勉強させるにあたって調度いい  と今のぼくは考えてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

それと あとね

 

 

この写真のいいところ

 

 

 

 

 

 

気分転換に漢字  って書いてあるでしょ

 

 

 

  

 

 

 

 

 

そういう工夫をね

 

 

 

自分で見つけて   

これは使えるな また試してみよう

 

これは使えなかったけど また試してみよう

 

 

とか

 

 

トライ&エラーをしていけるといいんだよね。

 

 

 

 

 

 

本来  そういう工夫を1つづつ見つけてあげて ほめてあげて

 

伸びた瞬間を全員にやってあげることが望ましいんだろうけど

 

 

 

残念ながら ぼくは そこまで優しくない。

 

 

 

 

むすめやむすこなんて

 

 

 

激厳しい環境で

 

それこそ酸素が薄いとこで 毎日毎日すごしてるから

 

 

 

 

ほんと かわいそう。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

自分でのびる楽しみは 自分で見つけてくれたらいいし

 

 

自分こそが自分を進化させる一番の鍵だと思いいたってくれるといい。

 

 

 

 

 

  

他者の影響で伸びることはたしかにある。

 

 

 

 

 

だけど

 

 

すずのきが目指しているのは 

自分本位で伸び続けること

 

 

 

 

 

 

そしたら 大学だって 社会人でだって 工夫して行動にかえて学び続けられるはず

 

 

 

 

誰もが通る 教科学習をつかって 安全にそういうことが身につけられるといいんじゃないかな と40をすぎてから思うようになった。

 

 

 

 

 

定期テストの過去問 とか  千葉県公立高校の問題に特化とか

 

そういうことを意識して力をいれていた頃よりも

 

 

学年TOP3は 今の方が多いし 大学の合格実績も出てるから それでいいんじゃないかな とおもってる。

 

 

 

 

明日もがんばろう