二十数年たつんだね
あのとき
壊れた気がするもの 傷ついた気がするもの
治ってない気がするよね
2月1日 早稲田
2日 立教(当時は2科目,新座は高校だけだった)
3日 明大明治
4日 明大中野
いま思うと
主に下町の公立中学で教員生活を送ってきた母の願いが伝わる受験校だよね。
市川やら、江戸取やら
日曜テストのときには余裕の合格圏だった都外の学校も
すべて受けなかった。
本郷や海城、渋幕は名前を知ることもなかった。
そもそも、明大明治 明大中野は80%をこえる安全校
明大中野は80%を切ったことは無かったはず。
立教も60%程度。早稲田も50%で推移していた。
4校すべて、落ちるとはまさか思っていなかった。
ぼくは
1月30日 学校を早退した 熱がでていた
31日 学校を休んだ やはり熱がでていた
1日いこうのことはおぼえていない
とにかく熱があったような気がする
気持ちが萎えちゃってたんだろうね
当時を思うたびに
絶望感だけがおもいだされる
その後 何十年過ごしていて
苦しいこともたくさんあったんだけど
中学受験が
ぼくの中で
1番閉ざされた経験。
タブーみたいなもんだね。
それくらい
小学生が受験で経験する負荷
例題すら読み解くことができない苦悩
まわりの人が解ける劣等感
そして思いがけない不合格の連続
重かった
書いているだけで重苦しい
すべて落ちたキミへ
やっぱりかける言葉は見つからない
気持ちはわかる
1/31なら、あの頃のぼくへの言葉を
思いつくんじゃないかと書きはじめてみたけど
うまくいかないね
なにかかける言葉を考えて、続きを書くね