「小学生から高校生まで今いる全員 すずのきに通う人は勉強が向いてる」
ぼくはそう信じて 生徒と接してる。
まったく逆の言葉をかけることもある。
「もう無理なんじゃないか?勉強し続けられる人はレアだから気にしなくて大丈夫だよ。」
本人がおもっているかもしれないことを言語化してテーブルの上に並べることはよくある。
常に 人は選びながら生きていく。
勉強に関していうならば、常に主導権は本人にあるし
勉強を選ぶたびに 勉強する自分へのこだわりは強くなっていくだろう。
ちがうものを選ぶたびに 勉強する自分へのこだわりポイントはマイナス方向に進んでいくだろう。
さらす ためす うながす
教室では 『あなたは勉強に向いてますか?』という問いかけをし続けている。
それが 本人の勉強に向く意識を揺さぶるから。
先に行けば先に行くほど 競争を含む勉強は熾烈になる。
特に受験がからめば
ほどよく なんて間が抜けたことを言っていては走り続けることはおろか 歩き続けることすらできやしない。
社会人以降の人生を豊かにするための教養とはちがって テストで点数化され 否が応でも常に競争にさらされてるからね。
歩いていれば 追い抜かされ 後方に位置すれば そのうち歩く意味を失っていく。
それるだけ勉強より魅力的なものも 高校生くらいになるとたくさん用意されてるしね。
昨日 ある中学生に話したのは 冒頭のとこだけ
「すずのきの人たちは 全員勉強が向いている そう信じてる」
上位に駆け上がるのは
どんな取り組みが良かったか 継続したらいいか 工夫していったらいいかまで考えられるねばり強さ
自分には勉強が向いていると信じる気持ち
あとは 細部を詰める原動力となる不安
自分が勉強に向いている
根拠はいらないから、ぜひ そう言い聞かせ続けてほしい。
すずのきが大切にしているのは
他者との対比ではなく
他者からの褒めでもなく
昨日の自分との対比でもなく
今日良かった点を明日につなげ、今日改善すべき点を具体的に明日の行動に反映させること。
今日の自分と明日の自分を比較すること。
明日は自分にしか創れないし
明日を自分で創るたのしみは 毎日目の前にある。
今日をはじめよう
たぶん 明日のための何かが落ちてるはずだよ