がんばれがんばれ受験生がんばれがんばれ受験生

 

 

 

らーらーらーらーらー

 

 

  

  

 

らーらーらーらーらー

 

 

  

  

 

  

 

   

 

  

と 

夜かえると 最近テレビで流れてる気がする。

 

 

 

 

  

いとう家のみなさんが 『2月の勝者』 を録画でご覧になってる。

 

 

 

 

 

どこの回をみてるのかわからないので『としはマエダカレンさん役ね』と毎晩いって家族の輪に入ろうとしてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

たしか成績№1の子なはずだ。

 

 

 

 

 

「島津パパにならいつでもなれるよ」そうも言ってる。激烈お父さん役だ。

 

  

 

  

 

昨日時点では 毎夜 同じことを話しかけても家族から返答があったけど

 

これもいづれ 無視される運命が待ち受けているんだろう。

 

 

  

 

かなしい限りだ。

 

 

 

 

それまでに 受け取ってほしいものを最大限に

 

とは思うものの

 

 

実態として 家族とのつながりは薄い。

 

 

 

 

 

 

それぞれが それぞれの持ち場でがんばってくれたらいいとおもう。

 

それぞれの持ち場が 時として 必ずしも 家 でなくてもいい。

 

そうも思ってる。

(完全にさびしいお父さんとしてぐれている。投げやりだ。その前に母親に任せきりにしてないでがんばればいいだけなのに...)

 

 

 

  

 

 

家 が幸せな空間であることは

何よりも望むけど

 

 

子どもにとって

親にとって

様々な顔があるのは 当たり前なことで

 

 

いろんな場所で いろんなつながりの中で

  

 

一瞬一瞬生きていくわけだから

 

 

 

時として 親子の距離感は変わり続けるものだろうな

 

そう思ってる。

(自分を正当化してないで がんばれ父 がんばれお父さん あまえんなトシハル)

 

 

 

 

 

  

そこで 冒頭だ。

 

 

  

 

受験生はがんばるもの

 

 

  

本当かどうかはいい。

 

少なくとも たくさんの現実を知ってる。

 

 

 

 

 

 

親は子どものためにがんばるもの

 

 

それも 関わり方は様々。

 

 

ぼくや 島津パパのように 割れそうな親子の結びつきもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

人はがんばるもの

 

 

 

果たしてそうだろうか?

 

 

 

がんばりは大抵 一瞬なんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

その一瞬を いかに踏み続けられるか

 

それこそが大切なんじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんばれ がんばれ 受験生

まけるな まけるな 受験生

 

 

 

 

 

はたして受験生 だけの話なんだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

今日 もうすでに遊んでる中3も 世の中にはいることだろう。

 

 

 

ヨーカドーやアリオ おおたかの森やレイクタウンにも 少なからず中3はいるだろう。

 

 

 

  

 

いろんな人がいる。

 

 

 

 

 

世の中の大人たちが みんなすずのきの受験生のようになったら

 

きっと 国際競争力も上がることだろうに。

 

 

 

 

  

 

 

ぼくの席は ドアの横なんだけどさ

 

 

天気のいい 外をながめてたら

 

 

 

 

ドラマの曲とともに がんばるのは受験生だけなのか? って気になった。

 

 

 

 

 

さ 午後もがんばろ。

(家でもがんばりなよ むしろつまのためにがんばりなよ)

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑音だらけだな...

 

 

こーひーのんで がんばろ