カリキュラムに追われない幸福感

 

 

 

ぼくは年がら年中 何人ものカリキュラムに追われてる。

 

 

 

 

 

追ってる ともいえなくもないし

 

勉強するのは 当の本人なんだけど

 

 

 

それでも 誰がどう進めていくか はらはらしながら心配してる。

 

 

 

定期テストや受験までのひとまずのゴールや、いまのトップを走ってる人たちの中学時代から逆算して、

 

 

間に合いそうかどうか 

間に合わなそうなら どういう手順が その人に相応しいのか

 

 

 

そういうことを考えて そっちに向かってくれるためには どうしたらいいのか

 

 

そんなことを1日の大半 考えてる。

 

 

 

一人一人 まるで違うことを考えてる。

 

 

 

 

 

 

昨日 さんざん遊んでさんざん食べたので つかれはてて先に寝た。

 

 

 

 

 

 

 

起きたら 三分の一 くらい残ってたテキストが終わってた。

 

 

 

 

 

それなりに答えることができてるから

 

 

算数も国語も なおし はするとしても

 

むすめが次に なんの勉強をするのか

 

あわてて考えてる。

 

 

 

 

つまが主に決めていて、予定はたててるんだけど

 

いきなり終わったから、ひとまず今日明日 なんのテキストですすむのがいいかどうか

 

 

テキストをわたすときに そのテキストを選んだ理由をどう話すか

 

 

考えてる。

 

 

 

追われるからこそ スピードが上がるけど

 

 

むすめの勉強に関しては 追ってるだけで 納期に追われていないので とても気楽。

 

 

どの子にもそうなんだけど、あわてて次のテキストと 話す内容を考えられるのは 幸せなことなんだよね。

 

 

 

夏休みは学童に預かってもらってたけど、長期休暇を勉強にあてると

 

 

あらためて 収穫が多い と思った。

 

 

1ヶ月前と 集中したときのスピードが 格段にちがう。

 

 

おっと ラジオ基礎英語の時間だ。