⑦と同じく 理科大生の話にしよう。
この話も長くなる。
長すぎて 話したくない。
ただ この男も 奇跡そのもの
歩く奇跡 みたいなもんだと 個人的にはおもってる。
なんせ 1中の真ん中からうしろ
臨海の下のクラス
臨海の宿題は100%やってなかったはず。
そんな状態で 中2の3月くらいにうつってきた。
その雰囲気だから ソファにはじめて座ったときに 伸びそうって印象は持たなかった。
それでも その中3になるタイミングでお預かりしたのは
同席されたお父様が 単願で付属校の私立に って はっきりと目標をおっしゃったから。
それだったら 集団塾よりも
ひとりひとり違う内容で、なおかつ毎日勉強をつみかさねるすずのきの方が成果が見込める。
お預かりする価値を出せるとおもった。
部活も忙しかったんだよね
駅伝で関東大会まで進んで 11月くらいまで大会があった。
そんなわけで まぁ 中3だけど
受験ではなくて 学校の定期テストに向けた勉強という
中3にしては 負荷がかるい内容で 彼の すずのきwayははじまった。
で この代は すずのきがはじまったときに中1からお預かりしている子たちが はじめて高校受験をむかえる代だった。
なので 土曜日午前中に4名に向けて開講したSクラス
とか いろいろ 取り組んでて
ぼくにとって かなり気張った受験だった。
こないだ当時の中3に聞いたら
夏場とか 朝8時から8時半の間に集合して
昼は昼で 国語の課題をやって
丸一日勉強できるときは
そんなふうにすごしてたみたい。
聞いてて ぞっとした。
で
そんななか 駅伝の彼
悠々自適 とは言わないけど
受験体制とは 別プログラムで すごしてた。
中学のときにも 確かに山場はあったんだよ。
最後 推薦の加点をとる戦い とか
激闘も激闘だった。
手に汗にぎるどころじゃなくて
ほんと 首の皮 0.1枚 のこして ぎりぎりのぎりぎり 推薦基準を突破した。
たしか12月28日か27日のことだ。
こないだ お母様が仰っていたのは 学校が年内休業する最終日に担任の先生に書類を記入していただいたそうだよ。
ほんと 紙一重のたたかい
それでも
12月に勝負はついたんだ。
でも 彼はそこからも走り続けた。
走ってる間に どんどん強度を上げて
でも ぼくは そのスピードに我慢できなくて
大八木監督ばりに追い込んで
で
スピードをさらに上げて
壊れてもともと
いざとなれば 付属校の推薦枠を使えばいい って
みんなの共通認識のもと
はしってはしって 走り通した。
途中 学年1桁になったのも良かったんだろうね
なんせ びりのびり 単願の1番後ろからスタートしてる。
500人くらい抜いたんじゃない?
すずのきでは きれられどおしだったけどね。
言ったことが 1度で通らない男だった。
でも まぁ
その歩みは 非凡そのもの。
東大に進んだ男と この男は いつも教室にいた。
それは すずのきに通う中高生の誰もが知ってる。
すずのきは 基本 みんないつもいるんだけど
その中でも ひくぐらい いつもいた。
勉強はやればできるようになる
ってことを
松戸一中の同級生は おもったんじゃないかな。
あの○○○が????
理科大??????
はぁぁぁあぁ?????
みたいな感じだと想像してる。
単に できるようになるまでやってただけなんだけどね
凡人には 無理だよね
100人に1人だったってことなんだろうね。
勉強は自分でするもんだよ
でもって
できるようになるまで するもんだよ
魔法は特にないし
やり方も特にない。
できるようになるまで やるかどうか
まず
やる って決めること。
話のすべては そこからなんだ。
でないと かっこよくはなれない。
それを 一番味わったのが この男だろうとおもう。
実行が伴わなければ 箸にも棒にも引っ掛かりはしない
勉強は 突きつけてくれるよね
そういうこと