昨日の小学生の読解。
毎日 だいたい勉強開始から1時間45分経ったところで
6分読んで、裏返して、その場でぼくらが考えた問題に応えるということをしてるんだけど
昨日出題したのはこんな↓感じ。
Q1
比較的価格が高いとされている日本の農産物。本文中で日本の農家はどういうことをアピールして売ろうとしてる?
Q2
本文中で日本に比べて面積が広いとされていた国々は?
Q3
日本の農業の問題点は?
Q4
バスティーユに攻め入った翌月、国民会議で決まったことは何?
Q5
本文中でフランス革命のリーダーと紹介されていた人は?
社会丸出しの質問になった。
で それを余計な話をしながら 手を挙げさせながら答え合わせをしてく。
ぼくは フランス人権宣言は今の社会をかたちづくる重要な発明だと思ってるから
リンカーンが出てきては話すし、明治について出てくるたびにわりと話す。
「ほんとに自由で平等なの?」
って。
「お殿様は 一般市民としてじゃなくて お殿様として生まれてきたほうが幸せじゃない?」
「○○(むすめ)と○○○(むすこ)、勉強ばっかさせられてるけど、うちに生まれてきて大丈夫だったかな?スイッチとか、絶対買わないと思うよ。ほんとうに人間は平等なのかな?」
すずのきの子たちは ぼくが教室で
むすめやむすこにプレッシャーをかけてるのをみてるから
笑ってた。
ぼくは未就学児も大学受験生も そんなに変わらずに接してる。
勉強はするものだ
と 接してる。
そこに妥協や 甘えは無くて
子どもたちはいつだって かいくぐる方法を探してるから
ぼくは いつだって かいくぐる道はあるわけないからな って顔をして接してる。
法学部の1年生のとき
法の擬制
というものを学んだ。
実際には違うものを、ある要件を満たしていれば、同じ法律効果を与えるというもの。
相続において 胎児を人とみなす
失踪宣告を受けたものは 死亡とみなす
みたいなね。
実際には違う(かもしれないんだ)けど、そういうもんなんだ とする。
これは 人間の知恵 そのものだとおもう。
だって ちがうんだもの。
でも 真実を乗り越えchao! みたいなね。
便利だよね。
むすこは いまぼくの横にいる。
坊主にランニング姿で寝てる。
まさに 昭和 である。
ちなみに この坊主姿。ぼくは彼に「とし、一緒にハゲにしよう」と巻き込まれてるから、ペアルックなだけで たぶんみんな勘違いしてると思うけど、ぼく発信ではない。
さらにどうでもいい情報を追加すると、つまは坊主にすることに猛反対してた。
なんで勉強するの?
この問いに答えようとするのは おそらく間違いだ。
これは 他者が答える類いの問いではないと感じる。
なんで勉強するのか? という疑問に向きあいながら、
自分はどう生きていくのか? を選択していく
そういう類いの問いかけだとおもう。
勉強は スタイルの問題だと ぼくはおもってる。
勉強は高校生ではしなくなる人のほうが圧倒的に多い。
それならそもそもしなくていいんじゃないか ってぼくは思う反面
たぶん それが自分を解き放ってくれる武器であることは 若い人には理解できないともおもう。
木星をみて 木星だと気づける喜びは 木星の見分けがつく人にしかわからない。
勉強はするものだよ
勉強はさせるものだよ
これは 子どもと向きあう人には 必須。自分の中でがちがちにかためといたほうがいい。
理詰めでは 人は勉強はし続けないよ。
そこに すべてに通じる理 はないよ。
子どものまわりにいる大人は
自分が根拠になるんだよ。
勉強はするもんだ。勉強してるあなたがかっこいい。勉強?当たり前にするものだよ。勉強してるあなたが好き。努力し続けるのは美しいね。
って おなかの中でかためとくの。
揺らしてるのは 本当にスマホなの? ってことだよ。
アンカー(碇)としての義務を果たさないとね。
それとも その舟にはアンカーはないの?