書かせるのは好きではない

 

 

 

 

 

書きたくない人に書かせても たいして覚えないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも 書かせることがあるのは

 

 

 

 

 

書く必要があるから。

あんまりないけどね。20-30人に1人くらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その人が 書くことになれていかないと

 

もうどうにもいき詰まることが ぼくの目にみえてるとき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手のスピードは 思考のスピードと ほぼ同じだし

 

 

 

難しい問題は 書かないと解けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書きたくない人に 書くことの重要性は伝わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

書かせなければ、書かない成功体験を積むだけ。

 

 

手の運動が極度に足りてなくて、それでも頭ひとつ抜けた成績を取る人をぼくは見たことがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

競争になったとき

 

 

思考が遅くて負けていく様子

隅をつけずにうなだれる様子

直前にさしかかり下降していく様子は

 

何回か見てきた。

 

 

 

 

 

 

それでも書かせるのは好きじゃない。

 

 

 

教室で 漢字や英単語の練習をしていたら全否定するくらい みるのもイヤ。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

それでも 書かせることがあるのは 勝ちたいから。

 

 

 

なぜ それが必要なのか 本人が納得するまで説明することはない。

 

 

 

 

 

なぜなら 納得しないから。

 

 

 

 

 

書きたくない人に 書かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

本人の納得度なんて 待ってたら 一生が終わっちゃう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書かずに思考に頼ってる人は弱い。

 

 

遅いから、決定的に演習量が少ないんだよ。

書いてる人が思考してないかって、してるに決まってるんだよ。

 

 

 

書かずに思考するのは 空想あそび。点数がつく競争には向かない。

 

 

 

 

 

書くスピードは 上げてあげないとね。先々、勝負できないだけでなくて 思考のスピードの差もひろがりつづけるから。

 

 

 

 

 

 

ここが本人たちに1番伝わりづらい。

他の子が どんなふうに勉強してるか、実感はわかないもんだからね。

 

 

 

先に走ってる人に追いつくことは難しい。先に走ってる人が歩いてたら抜くのは難しくない。

 

 

 

 

 

走り続ける人のスピードって 勉強技術が上がっていくから加速していくんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

小学生のうちに たくさん手の運動はさせといたほうがいいとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくは負けるのはいやだし がんばってきた生徒を慰めるのも絶対にいや。