理由なんて どうでもよくて
実際にやってるかどうかじゃない?
勉強なんて できるようになるまで やってるかどうかじゃない?
立派な理由って必要なのかな?
それがあると行動できるもんなのかな?
事実をつみかさねていくことが大切だし
どんな事実をつみかさねていくかこそが 肝だったりするんだよね。
計算ばっかりやったって 思考力がスカスカじゃだめじゃない?
↓冬の全国テスト。
早稲アカ
日能研
駿台浜学園
どれも3年生のテストだから別に未来をあらわすものでもないけれど、計算だけやっていてもむすめがこんなふうに点を取ることはないとおもう。それなりに難しい。
かつて中受にも関わっていた ぼくやよこうちからしたら
むすめのような皆無に等しいいい加減な反復でここまで食い込めていることはびっくりだったりする。
それぞれ 通ってる塾生がたくさんいる大きな塾の大きなテストで、対策なく点を取れるのは
丸つけすら自分でやって、
自分で読み解いていく
ほーぷからはじまる すずのきでの勉強だからこそ
積み上げられている学力だとおもう。
これが ピカピカの上位かっていうと
別にそんなこともないんだけど
ステップさえ間違えなければ
中受の勉強すら 自分で理解しながらすすめるんだなー
ということは
むすめを通して わかったことのひとつだったりする。
もちろん
思考力だけ鍛えても 計算が遅ければ
まったく 演習量が足りずに困ってしまうことになる。
単位あたりの量 と 速さ をクリアしたら
もう小学校の算数もほぼほぼおしまい。
6年はあっという間に終わる。小学校入学前だけど
教科書の算数は無理なく終われそう。
どういうやり方で勉強するか
どういうタイミングで勉強させるかどうか
どういうふうに導いてあげるのかどうかは
親の役目なんじゃないかな
って
塾で子どもたちにであえばであうほどにおもう。
生まれてきてくれてから 言うことを聞かなくなるまでの
10年前後のうちに
どんな時間をすごしてきたかが 学力の伸び方でいうと大切なんじゃないかなと思うし
難しい勉強に関しても
どういうステップで 学んでいくかは
さらに難しい勉強になったときに どうなっていくかに大きく関わっていくんだなー
なんて 大学受験生たちをみながらよくおもう。
どれも正解だとおもうんだよ。人の人生なんて。
ただ
なるべく困りたくないよね 勉強では。
そうでなくても 考えることは山積みなんだから。
12年から18年間の学生時代の昼間って たぶん膨大な時間だし
そもそも やればいいだけのことだったりするし
進路にも関わっていくよね? 勉強って。
子どもに勉強させるのって ほんと むずかしいからさ
楽したいよね。