普通の人間がいいか、特別な人間がいいか

 

 

 

そんな雑談を中1とした。

 

 

 

 

 

もちろん若い人たちは みんな特別な方がいいってこたえるんだけど

 

 

 

実は

 

 

 

 

 

『普通』の人たちは

 

一生懸命に生きていて 『普通』なわけで

 

 

 

 

『普通』がすごいことに気づいていなかったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やればできる」

 

って 自分で自分に言い聞かせるのは とてもいいことだけど

 

 

それを人にかけるってなったときに

 

 

 

 

とても無責任でいい加減な言葉だなぁ  と

 

 

ぼくはおもっている。

 

 

 

  

 

 

 

 

できるようになるまで つきあう覚悟があって はじめてかけていい言葉だよなぁ とぼくはおもってる。

 

 

 

  

 

 

 

 

できるまでやる

 

 

 

この覚悟を 本人が逃げ出そうとしたときにも

 

はらをくくって追いかけられるほどに 持たないと

 

 

ぼくには

 

「やればできる!」

 

なんて とてもとても言う気にはならない。

 

 

 

 

 

 

 

そりゃ 通りすがりで 数日しか関わらないのなら もしかしたら言えるかもしれないけど

 

 

そりゃ やっぱり無責任だものね。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『普通』っていうのは

 

何をもって 『普通』 かは そりゃときと場合によるけど

 

 

 

『普通』が  集団の真ん中へんの多くを指している場合

 

 

 

その集団の真ん中へんの多くは  たいてい

 

 

 

 

 

がんばってすごしているよね。それなりに。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

その子が

『普通の子』か『特別の子』かは

 

 

 

ぼくの目からみたら

 

 

これまで千人以上 10代と出あってきて

 

 

ひとりも 特別な才能 を持っている人にであったことがないから

 

 

まるでわからない。

 

 

 

 

 

 

灘の首席 で 東大理Ⅲ 間違いなし

 

みたいな若者にあったことがあったら判るのかもしれないけど

 

いまのところ

 

 

全然 わからない。

 

 

  

  

 

  

 

ぼくが塾で出あってきた若者は  どの子もこの子も

 

たくさんの努力が必要な子ばかり。

 

 

 

 

 

才能 とか そういうのを感じたことは  

 

本当に 本当に一度もない。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何かちがうな』

 

 

 

みたいなのは  全員に感じることだから

 

 

 

それも 特別なことではないんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

若い人が 勉強で

 

 

 

特別だな

 

って感覚を持ちたかったら

 

 

 

まわりが 「特別だね」って言ってくれる環境に身をおくか

 

 

 

自分を特別な存在に押し上げていくのが いいとおもう。

 

 

 

 

前者はお勧めしない。

 

 

 

 

 

だって 上のカテゴリーにいって 凡庸なことに気づいてしまったら あしが止まっちゃうことが多いから。

 

 

才能があるって勘違いすると 努力や工夫やガッツを伸ばし続けてきた人に

簡単に追い抜かれちゃうのが点を取るための勉強だからね。

 

 

  

 

 

 

東大だって 数千人 毎年入るわけだから。

 

 

 

 

 

 

 

そこにいくと  

 

 

後者

 

 

自分を特別な存在に押し上げる   のは 若い人にとてもおすすめだ。

 

 

 

  

 

 

  

やっぱり簡単なことではないんだけど

 

 

 

それでも

 

 

 

その感覚を身につければ 

いろんなことに役に立つ。

 

 

 

どういうことかっていうと

 

 

 

  

自分の通ってきた道を振り返って 成長し続けている自分を見つけること。

 

 

 

 

人とくらべて 普通・特別 ではなく

 

 

 

  

自分の成長曲線をふりかえって

 

 

 

 

あー

 

 

こりゃ  わたしだったら 伸び続けるわー

 

 

 

 

  

いままで伸び続けてきたし

 

 

  

 

 

 

大丈夫だわ

 

 

特別な道をとおってきたなー

 

 

  

 

 

 

 

ほんと  私ってすごいなー

 

 

 

 

自分の来た道 と 成長可能性を実感できること。

 

 

 

 

自分の通って来た道っていうのは

 

 

自分しか歩いてない たくさんの感情がつまってる特別な道だからね。

 

 

 

 

 

 

 

他の誰とも較べようがないし…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうのを見つけると

人にお膳立てしてもらってなんぼ の もやしっ子ではなくて

 

 

自分で伸ばしていける人になれる。自分に可能性を感じるんだろうね きっと。

 

  

 

 

  

 

 

 

 

 

勝ち負けがつく局面でエリートに勝つには 自分で伸ばし続けられるように育てるほかない ともおもってる。

 

 

 

 

 

 

ほめられないと前にすすまない って

 

 

おそらく どんどん もやしっ子方面に伸びてってるってことなんだよ  たぶん。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で 自分の道をふりかえって これからも伸びるな!って捉えられるように育てるほうが

 

 

「特別だね!」と育てるよりも よほどに伸び続けるとおもうよ。結局、人の言葉なんて そのうち効かなくなるからさ。効かなくなったときに裏返っちゃうんだよ 結構。

 

 

 

 

 

 

ほめることも大切だけど

 

ほめ方とタイミングって しくじると 

あとあと支えになれなくなっちゃうからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

進んできた道を覚えておいて 追認するくらいで  ほんと充分だとおもう。

 

 

 

 

 

 

その道こそが 世界でたった1つの道なんだからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとりひとり

 

生まれもって 特別に決まってるんだから

 

 

謙虚に

謙虚に レベルを上げ続ける。在り様を変え続ける。

 

 

 

 

 

成長曲線をどこまでも急角度に持っていくこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうこうしてると

18歳くらいで

 

 

非凡になってるんだよね‐  見てると。

 

 

 

で  たぶん  そういう人は伸ばし続けられるとおもうんだよね‐  きっと。