■試験の内容は、学ぶ者への大きなメッセージ。
試験のスタイルによって、合格を目指す者の学びのスタイルは変わります。みなさんも、「試験対策」をした経験、ありますよね。試験が、学ぶ者への、そして学びを支える者へのメッセージになっているんです。
実際、学校現場が探究型の授業へ転換しようとしても、「入試に役立つのか」という問いとの狭間に立つことになり、結果的に入試を意識した授業とせざるを得ない状況です。
私は、今の試験に全く意味がない、とは思いません。ただ、新しい時代を見据え、小中学校での学びをより良いものにするため、工夫は不可欠だと考えます。それが22世紀を生きる子どもたちのためだと信じています。
いま学校の教育内容は、「主体的・対話的で深い学び」を目指し、大きく変わろうとしています。中でも芦屋市では、「探究」を大切にしています。それは、自らの問いから学びを始める「探究」を通じてこそ、一人ひとりの学びへの意欲を引き出し、「ちょうどの学び」が実現できると確信しているからです。
現場の先生方は日々努力してくださっています。しかし、ネックになっているのが入試です。
前回も指摘したように、入試問題を見ても、残念ながら、探究的だとは言いがたい内容です(ここは多様な意見があると思いますが、現場からは、この入試では今まで通りの授業をせざるを得ないという声が寄せられています)。
もう少し探究的な問題に変えていくべきではないかと、私は考えています。
■内申点50%。学校に毎日行ける子を前提にした議論になっていませんか
そして今回、特に取り上げたのが内申点についてです。兵庫県では、すべての高校入試で内申点の比率は50%。特に実技教科の割合が高い(5教科の約2倍の重み)のが特徴です。
この入試制度では、増え続ける不登校の生徒は、公立高校進学を諦めざるを得ません。県内の公立中学に通う不登校の生徒は2023年度で9937人。1万人が公立高校進学を諦めざるを得ない状況ではないでしょうか。
それ以外の生徒でも、内申点が半分を占める状況だと、日々の学校生活の中で、心のどこかで内申点をどうしても気にしてしまう状態に陥りやすいのではないでしょうか。
その教科本来の学び、活動の楽しさに浸るよりも、先生がつける内申点が気になる。そうなると、「主体的・対話的で深い学び」にはなかなか至らないのではないでしょうか。
もちろん、本番の点数だけで判断されるのはつらい、という声があるのもわかります。しかし、せめて、今後の目指す学びの方向性にそぐう形での高校入試改革を進めるべきだと考えます。あなたはどう思われますか。
という 問題提起が 8時間前に
灘から東大 ハーバード そして 26才で兵庫県芦屋市の市長になった
高島りょうすけさんの ツイッターで発信された。
いかがなものか というのは簡単だけど
こうしたらいい というアイデアを出せますか?