こちらこそありがとうございました

 

 

1か月前に書いたんだけど

 

なんか わざとらしくて 下書きにほっといてあった。

 

 

いまなら きっと目にふれないだろうから

 

 

 

世界のかたすみにおいておく。

 

 

 

  

すずのき7年8年で もっともぼくにおこられたうちのひとりで

 

もっとも おこられなくなった子がいる。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

期待にこたえたい  と思って はや7年

 

 

 

 

 

 

日暮里育ち たぶん少しだけ先輩だとおもう。

 

 

 

 

 

 

ぼくは ニニチだったけど  きっと イチニチ かな。

 

 

 

 

 

日暮里育ちの保護者の方からお預かりして

 

 

 

 

ついに

 

 

 

 

卒業まで たどりついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくは 日暮里育ちとはどういうことか という気持ちで接した7年だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

下町は 雑草のように しぶとくしぶとく生き伸びていく必要がある。

シタマチシカシラナイケドネ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たぶん 日暮里でも 山の上だから 

 

 

 

 

ほんとは ぼくの住んでいた東日暮里5丁目とはちがって

 

 

 

 

 

 

 

ふるくから田んぼじゃないとこだから、同じ出身ではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも たぶん メンタリティは日暮里そだちってことで近いとおもうんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから その子は きびしく 生きのびれるように育てよう  と決めて

 

 

 

 

 

 

 

 

はや7年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

ぼくなりのベストは尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

それ以上に 本人とお母さんお父さんがベストを尽くしに尽くしてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの子を預かれてよかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにより

 

 

 

あの子のお母さんとお父さんに期待されて

 

 

とても幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7年もどったら もっとうまくできるかはわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手探りはかわらないとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あったかいおうち。

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうのを日暮里の先輩から教わった気持ちだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっともっと がんばりたいとおもう。