わからない問題 知らない言葉を放っておけるかどうか

 

 

 

生徒たちが質問をするかどうかには さほどこだわってない。

いちおう 日に5回くらい 質問を促すけどね。

 

 

 

受験生以外には がんばっても解けないレベルの問題が入ってるテキストは渡していない。

 

 

あらかじめ人を見ながらテキストを選定してるからね。

テキスト選びは すずのきの生命線のひとつだ。

 

 

 

 

 

それでもひっかかる問題があって、どうしても知りたい人は 調べればいいし。聞けばいい。考え続ければいい。

 

 

理解できない問題をちょくちょく放っておけるのは 気になる気持ちがそこまでない ってことにほかならない。

 

 

 

 

 

 

知ること について 粘着質なのか 淡白なのかは 結構な分水嶺で、勉強に関する一時が万事みたいなところがあるから

 

 

 

やっぱり 本人が点数や成績にこだわれるように、たくさんつまづかせといた方がいいと思うし、時間をふくめてたくさん勉強を優先する選択をさせないとムリとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

断っておくけど

 

1科目できてればいいんだ って自分を一生懸命にまもってる子に、君は勉強嫌いだね なんて話をする気はない。

 

 

その人がなりたい自分になっているのは変えようもない。

 

 

 

 

 

ただ

上位は甘くないよ。

 

 

 

 

 

突き放しにかかるし。

 

 

 

 

 

 

稀に やれば伸びる みたいに思ってる人がいるけど、それは勘違いで 人をたくさん抜かすには 抜かす人たちより 圧倒的に学習をしないとならない。

 

大抵は自分史上最高努力はできても 圧倒的努力はできないから、綺麗に抜かしていけるわけではない。

つまり やっても伸びない。

 

同じ時間や 同じ量を解いても

学習歴が違えば、効率性もスピードも定着への技術もちがうから 差は広がる一方なんだよね。

 

 

 

 

 

自分より上位がみんなが停滞しててくれればいいけど、そんなわけもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、伸びていく人はやってるよね。

 

 

 

それは 子どもたちを1000人くらいみてきて思うことだね。

 

抜かしていく人は まわりとは違うレベルでやり続ける。

 

 

 

 

 

粘れなかったり 波が多い人は 抜かす前に挫折することが多い。

 

 

 

 

 

勉強は 多くの10代が 一定 価値を認めて向きあうものだからね。参戦者がほんと多いよね。

 

 

 

知ることについて 淡白かどうか

 

 

それは たぶん 生活の細部で いちいちいちいちすぐに調べる姿勢を見せて 刺激していくほかないんじゃないかな。

 

 

 

手をとめて調べる。

 

 

 

 

スマホがあるから 結構かんたんだよね。

 

 

 

 

 

たいていの質問もそうなんだよ。調べれば すぐにわかることが多い。

 

 

 

 

 

 

ポイントは 知りたいと思えるかどうか。

 

 

 

暮らしで培っていく 姿勢で伝えていくしかないんじゃないかな。

 

 

 

知ってることが多いよりも どんなことについても知ろうとする興味が人よりも強いことのほうが 伸び続けるポイントっぽくない?

 

 

 

 

目の前の活字を片っ端から一緒に拾ってくといいよ。

 

 

 

謎はそこら中に転がってるから。たくさん遊べるとおもうよ。

 

 

 

 

知らないと気が済まない。

 

そういう要素はどこかで伝えられるといいよね。