「問題文 読めてないよ」

 

 

 

「それでその問題 2回間違えてるから」

 

 

 

 

 

問題文に立ち返る 自分の『読み』を疑うっていうのはとても大切な姿勢だから

 

 

 

普段 問題文を読み違えていてもむすめにはそこに気づくまで1時間でも2時間でもかけるんだけど

 

 

 

 

 

朝から そういう特訓をしたくなかったので

 

「問題文読めてないよ」

とだけは伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

何を伝えて 何はそのとき伝えないか

 

 

成長具合と性格とそのときの学習の流れ

 

そのときそのときで変えていったほうが効果的だろうな- と ぼくはおもう。

 

 

 

 

 

 

そういう意味では 声かけする人っていうのは よくよくみてたり 継続的にみてたり 先を見すえてたり 

 

 

流れを強く太くするために

緩急をつけて

 

 

モチベーターやハードルや壁や障害や大八木監督や記録者  その時々でいろいろになっていくんだとおもう。

 

 

 

 

 

 

親子で それをする弊害っていうのは あるかもしれないよね。

 

 

 

 

 

 

朝や

週末に

自分と向きあうのが大切な勉強に追い立てるわけだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

やる と決めたから やる けどね。

 

 

 

 

ただ ただ 甘やかしていたい って気持ちも、そりゃ あるよね。

 

 

 

 

勉強させるって できない問題に向きあわさせるって ことだから 大変だよね。本人もさせる方もお互いに。

 

 

 

 

 

 

 

早め早めに注力しておくのがオススメ。心から。

 

 

 

 

それでも 迷い はでる。

 

 

 

 

 

いい顔してたい…