これって すごいことで
世の中の多くが行動変容する 大晦日にあって
朝っぱらから 勉強 という行動をとるのは
ぼくが生まれ育ってきた環境から見ると 異常。
塾の人間としての自分 親としての自分 から見ると
『当たり前の基準』が高いな- なんてことをおもう。
じゃ あ 大晦日に朝から勉強してないと 当たり前の基準が低いのかっていうと
そういうことではない。
別に 朝の必要はない。
ただ 非受験学年の子たちが ここまで高い率で大晦日の朝に集まってくる塾も そうそうないだろうな-
そもそも休みの塾も多いだろうし
非受験学年向けに あけてる講座も ほとんどないんじゃないかな⁻なんておもう。
(ぼくも生徒にいわれていなければ 今日はあけてないし)
『勉強する自分へのこだわり』っていうのは育てていくものだから
今朝の勉強 も
ひとつ
育てる栄養になるんじゃないかな とおもう。
勉強は そもそも人間にとって栄養みたいなもんだしね。
栄養不足こそありすれ
栄養過多ってこともないわけだし
波を極力つくらずに 粛々と
そんな日を多くしていけると 遠くまで進みやすいんじゃないかな。
指定校推薦で大学が決まっている人が 2人も勉強しているよ。
研究で世界をひろげていく人っていうのは そんなもんなのかもしれないよね。