『楽しい』は果たして 長続きするものなのだろうか。
『好き』や『楽しい』といった教育を追い求める人は
きっと多い。
かつてそういうことがあったから
それが長続きしさえすれば といったところだろうか。
現実はどうか
好き で学びが続くのなら
日本は 小学生のときに英会話を経験した英語使いに溢れてる。
同じく小学生のときに実験が楽しかった理系研究者で溢れてる。
歴史好きが多いのなら
時代劇も もっとぼくの希望にそって放送されてるはずだ….
「勉強の仕方」とか
「勉強する理由」とか
「やる気」とか
「楽しい」とか
そういうのは 中学生で5科目以上
高校生で10科目とか
追いかける理由には 到底ならない。
楽しいだけなら 友だちと遊んでたりするほうが楽しい。
教育産業が それを推すのはわかる。
おそらく ぼくがサイエンスゲーツでやってる理科実験は、論理的思考と言語化能力と観察する目と理科的事象への興味と未来の理科の点数と何より探究するマインドに絶大な効果を発揮するとはおもう。
理科が得意な子と超得意な子が続出するとおもう。
でも 子どものまわりにいる大人は 冷静な目をもったほうがいい。
点数をおいかける教科学習には 好き や 楽しい とは次元が異なる
定着
が求められる。
必要なのは
カッコ良さ。かっこいいことが超重要だとぼくはおもう。
勉強はスタイルですればいい。
根性論も ファンタジーも 要らない。
好きな必要もない。
かっこよければいい。
かっこよくなるために勉強をすればいいし
勉強を続ける人はかっこいい。
かっこいい勉強方法を突きつめるべきだし
点を取れる勉強はかっこいい。
すべてが通過点だから、別に世紀の大発見の程度は人それぞれでいいし
進化していれば いくつだって
年長さんだって 中年だって 学ぶ人はかっこいい。
やればいい。
勉強は していさえすれば かっこいい。
しゃべる前に手を動かす。
大切なのは かっこをつけること。
受験とか 定期テストとか あんまり関係ない。
それは お金をはらう理由になるだけ。
大切なのは 本人が勉強し続けること。
かっこいい を目指すこと。
昨日も中2はカッコつけてた。帰りの声のツヤ感が半端じゃなかった。
中1も中3も小5も。
勉強なんて やればいい。
それだけで充分。