大陸では多民族が入り乱れやすかったから
明文化しないと 社会が維持できなかったんだろうね。
島国では
阿吽の呼吸にはじまり
八百万の神々
ムラ社会
きっちりしないことで社会をつくってきた。
ひとりひとりの主張が強くなってくると
同調は難しくなり、明文化が様々なところで求められるようになってきたのが昨今。
あるべき姿・モデル像が 多様化したり、曖昧だったりするのも
ルールの明文化が求められる理由の1つなのかもしれない。
いいたいこと?
ぼくは すずのき のあれやこれやを
明文化しない。
脳みその中は このブログと教室での語りで充分。
いわれなければできない人に
自分ではしる勉強は できない。
枠を決めたら 枠以上には 伸びにくくなる。
受け身で育てたら、自分で考えながら がんばる活力や勢いはうみだせない。
『求められるふるまい?』
『学ぶとは?』
『伊東だったら どこまで勉強させるか?』
『点を取るにはどうしたらいいか?』
そういうあれやこれやを 考え
視座を ぐんぐん高いところにもっていってほしい。
大切なことはさ
『教えてもらう』から
『学ぶ』にかえていこうよね。