午前中 学校を休まざるをえない人の勉強をみていてそう思った。
この2年間 本人が勉強をしたい場合には なるべくつきあうことにしてる。
小学生のとき どれだけ負荷をかけたって
中学生になり
さらにがんばる
もっとできるようになる
という気持ちを行動にのせられなければ
まったくもって 勉強ができる側にはいかない。
高校受験でどれだけ がんばったって
高校生になり
さらにがんばる
もっと自分の学習レベルを上げる
と つみかさねられなければ
秒でおきざりにされる。
その高校でおきざりにされるなら
ひろい世の中 首都圏の人たちと 勝負できるわけもない。
ステージが変わった瞬間に 進化をとめてしまうなら
それはもう 言葉にならないほど 残念な気持ちになる。
その環境のために 勉強させる といったって
入った先で 学ばない んなら
環境も何もない。
と ぼくはいつもおもってる。
一瞬の勉強なんて しないほうがいいくらい。あそんでたり本を読んでたりマンガを読んでたり映画をみてたりボールを蹴っ飛ばしてるほうが絶対にいい。
一瞬をかさねることに 価値がでる。
そして それはとても難しい。
いまから 生徒のうちに 教材を届けにいってくる。難しい教材まで 進んだ。
多くの人が望めば 勉強をできるチャンスがあるわけだけど
つかむのは ひとにぎり。
勉強をし続けられるのは ひとにぎり。
勉強をし続けるのが難しいのは 毎日 実感しているけれど
それでも
すずのきの人たちは
勉強をし続けられる人になってほしいな
そうおもいながら 自転車をこいでくる。
やるか やらないか
ぼくは 勉強をさける理由なら いくつでも無限に思いつける。たくさん聴いてきた。あわせれば何百時間どころか 何千時間にもなるとおもう。
やるか やらないか
結局のところ その積み重ねでしかないし
そこには現実しかない。
ドロップアウトするまでは 言い訳はひとつもしなくていい。
ただ ただ 実行し続けたらいい。
やるか やらないか
大切なのは それだけ。
そこに集中したほうがいい。