サッカーはしたくないんだ という小学校高学年の子にサッカーを教えるコーチは偉大だ

 

 

 

 

野球をしたくない とグラウンドで言っている中学生に野球を教えるコーチも

 

 

 

 

  

 

楽器は演奏したくないと音楽室で言っている高校生に楽器を教えるコーチも

 

 

 

 

  

 

 

 

ぼくは  とてもとても偉大だと思う。

 

  

 

 

  

 

 

 

  

 

仕事をしたくない こんな仕事自分はやりたくないし

どんな意味があるのかわからない とオフィスで言っている若手社員に仕事のやりがいやすばらしさを伝えて 一緒に歩んであげる先輩社員も偉大だ。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

ぼくは そうではないので すずのきで勉強に対してふてくされている小学校高学年中学生高校生には

 

 

それならすずのきで勉強をしないでよいのではないですか

 

 

と 伝えることがある。

 

  

 

 

 

  

学校で6歳からやってきて 聞かない力読まない力考えない力を伸ばしてきている人たちに

 

ムリに勉強をさせるのはかわいそうだとも思ってる。

 

 

 

 

 

 

サッカーはしたくない

野球はしたくない

楽器は演奏したくない

その仕事 自分がやる必要ありますか

 

 

 

  

そういうことを 現場で言えてしまう人に向き合える現場は

たぶん 暇な現場。

 

 

 

 

横で いっしょうけんめいに取り組んでいる多くの人たちをないがしろにできる現場だ。

 

 

  

 

  

 

  

 

 

 

  

すずのきは そういう現場ではない。

 

  

 

  

 

 

 

  

 

だから ぼくはミスマッチを避けるために 最初の面談のときに

 

かなり子どもたちにも保護者の方々にも

 

 

ありのままを伝えようと努力してる。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

がんばりたくない人にペンを握らせて 考えさせる塾は

 

地球上に存在しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

熱心な授業

たのしい授業

 

 

 

 

そういうので きっかけをつかませるというアピールに心ひかれるとしても

 

 

それは がんばるきっかけにはなり得ない。

 

 

 

 

  

 

 

がんばりはじめられるきっかけは

 

本人が がんばってるな と自分で見つけられたとき

 

そして

 

やったからできたな と実感したとき

 

  

 

 

 

 

それでしかない。

 

 

 

  

 

  

 

そこに たどりつくまでに

 

 

 

どれだけ まわりの大人が真剣にがんばれるかが最初の勝負だとぼくはおもってる。

 

 

 

 

 

  

  

はじめの面談では

 

 

それを 伝えてる。

  

 

 

 

 

 

 

 

  

すずのきの保護者の方々は とても熱心だとおもう。

 

 

 

 

 

  

 

世界中の親のほとんどが大切にわが子を育ててると思うけど

 

 

 

 

すずのきの保護者の方々は 自分事として

 

 

すずのきに送りだしてくださってると ぼくは感じる。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

そういう本気の人に 3000%の成長で応えたいと ぼくはおもってる。

 

 

 

 

 

それ以外のことは

 

人生であんまり考えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

点をとるための勉強は やりたいかやりたくないかではない。

 

 

  

 

そう育ててしまっては 小3か高1か  いずれにしろあとでうまくいかなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

点を取るための勉強は

 

 

やるもの。

 

 

 

  

 

 

 

  

 

サッカーや野球や楽器とは ちがう。

 

 

 

 

幼い子が自由に判断していい たぐいのものではない。

 

好きか嫌いかで判断していい たぐいのものでもない。

 

 

 

  

 

 

 

なぜなら それではいずれ挫折するから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強は するもの。

 

 

 

 

 

  

 

 

義務教育があるのは

 

人を鍛える必要があるからでしょ。

 

 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

  

集団生活なら  義務教育以前もできていたはずだよ。

 

  

 

 

 

 

学んで 鍛えるためでしょ。

 

 

 

 

 

 

選んでいいものではない

 

 

と ぼくはこっそり思ってる。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……そんなに勉強してきてないけどね…

 

 

 

 

  

 

  

 

 

  

8月29日

時刻は 9:08

 

 

 

  

 

 

今日も 中高生は よいスタートをきっている。

 

 

 

  

 

 

  

 

 

  

10年後 20年後

 

 

彼らが

 

ひっぱっていってくれる とぼくは感じてる。