そんな話を思いだした。
これはぼくのための記事だから、できるだけ読まないでほしい。
「あの子 納得してないんじゃないか」
「あの子 腑に落ちてないんじゃないか」
「うちの子は納得したらやると思う」
そうなのかもしれないね。だれもかれも納得したいよね。自分なりに足がでる絶妙な段を用意してほしいよね。
わかるわかる。
それに
たしかに
承認欲求つよそうだもの。
ただね
そう育ってる子って うまく勉強がはかどってるようには まずみえないんだよね。
小学生ならまだしも、答えをうつすことをやめられない中学生に 腑に落ちる説明とか まるで思いつかないものね。
ぼくもそういうミスマッチは避けたいから、はじめにしっかりすずのきがそういう子もニコニコ通える売上最優先の塾ではないのはお話しするから
ほんの数人しかお預かりしたことがないんだけど
だいたいお父上はこういう
「うちの子 ⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎が⚪︎⚪︎⚪︎です」
どういう心情でそういうことを言ってるのか ぼくにはまだ想像がついていないんだけど
親からみて 素直なところが無い子って いるのかね なんでそんなことを言うんだろう とぼくは不思議におもったもんだよ。
素直な小さかった頃を思い出しているのかもしれない くらいに考えてたんだけど
実際 どうなんだろうね。
話をもどすと
勉強することを納得させてほしい って
そもそもそんなことは つみかさねていく価値観だから無理だとおもう。
腑に落ちる とか
っていうのは 能動的に考えてはじめて 気づくもので
本人が納得できるところまで咀嚼して 超スモールステップにして育て続けられるとして
それで一体 どこまで進めると思ってるんだ とぼくは思ったりする。というか速攻 行き止まりだよね。教科学習的には。すぐに崖だよ崖。
まぁ 考える力とか想像する力とかは人並みにはついてないよね そう育ててるんだから。
そういうとき大抵思うんだけど
なんで ことさらうまくいってないコドモサマの学習の方向性を修整しようとしないんだろう ってこと。
いやさ
勉強がこれまでうまくいってきたんならいいんだよ。
でも こじれにこじれてるのに なおも自我を通そうとする その親自身の固執が
ほんと勉強させる ってことに向かないんじゃないかな と
ぼくはおもう。思うし、すずのきの育て方は都度はっきり伝える。
幻想をみてるんだよ。きっと自分の思い描く方法で子どもは伸び伸びのびる って。
目の前にはこんがらがったうえに延び延びしてるコドモサマがいるのに
そこを直視できずに 自分の幻想を追いかけようとする。
子育ては 親次第
そんなことを強くおもう局面だったりする。そして、しっかりぼくは話す。
話は当然あわないし、ぼくのはなしも聞こえてなさそうなんだけどね。
オヤゴサマ
かみくだかれてしか食べさせてもらってないから
文章が読めませんよ って
いうような厳しい言葉はもちろんのこと
耳ざわりのいいこと以外 まるで聞いていないんじゃないかって印象をもつ。
結局のところ 理想の教育が絵に描いた餅なら、その理想は現実にはあり得ない漫画の世界のことなんだから、目の前のわが子を見つめながら現実を追っていかないといけない。
その子が すこしでも前に進めるようになったほうが
ぼく的には 全然 いいと思うんだけど
コドモサマのオヤゴサマは理想の世界の演出を求めてるのかもしれないね。
勉強に関していうと
子どもの納得感を 外部の人間に演出させようとする時点で
その手法は大失敗してる。
自分は納得させることも 行動させることもできていないんだから。
勉強させる っていうのは そういうことじゃぁない。勉強を選ばせるっていうのは そういうことじゃぁない。
むすめが大きくなってきたから 自戒のために言語化しておく。
育てたように子は育つ。
❌と向き合わない限り、勉強はできるようにはならない。