昨日 友だちと話してて

 

 

 

今回の旅の目的

 

新潟に友だちにあいにきた。

 

 

 

 

聞いててひいたのは

 

中学のとき 単語帳に書いてあるすべて

例文もイントネーションも すべて100回づつ書いて覚えたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

高校のときの古典もそうしたらしい。

 

 

 

 

 

「書けばおぼえられるんだから書けばいいじゃん。言語は身体性をともなったほうが覚えられるんじゃん。」

 

 

とかいってて すっごいひいた

 

 

 

 

 

 

 

なんで100回かきいたら

 

 

集中して言いながらそれだけ書けば覚えるでしょ ってことだった。

 

 

 

ページのすべてを書くっていうところに 狂気を感じた。

 

 

 

 

 

 

一緒に話してて考えたのは

 

 

科学は なぜそうなっているのか物事をみるときに観点が増えることでしょ

 

 

 

ぼくは あまりそう考えたことがなかったけど、それはそういう観点を持っていないからで

 

 

身近な事象にひとつひとつ興味を持てたら、生きていくうえで 目にふれるいろいろなことにたくさんのことを感じられるかもしれないな

 

 

と話をきいていて思った。

 

 

 

 

 

 

彼いわく 科学は科目と並列におかれるようなことじゃないでしょ と。

 

 

 

 

 

 

 

『なんでだろう?』

を大切にするサイエンスゲーツ

 

あらためて真剣に取り組もうとおもった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いま彼の家のリビングで寝っ転がって 子どもたちがいつ実験をやりたがるのか待ってるんだけど

 

 

目の前の壁 一緒にトラックで新潟に運ぶ途中、三国峠でスタックして一晩を明かした仲間たち

 

 

 

 

 

 

かたわらに去年 小3のときの自由研究を見つけて ひとりどん引きしてる。

 

 

 

 

 

やりきることを伝えてるみたいだ..

 

 

 

 

 

 

今日もたくさん新しいことを見つけようとおもってる。